インシュリンショック療法の死亡例

文献を読んでいて、昭和10年代のインシュリンショック療法の最中における事故を報告した学会報告があった。文献は、服部六郎「インシュリンショック療法中の遷延性昏睡について」『精神神経誌』43(1939), 448.  報告者は京城大学の神経科とあるが、詳細は分からない。

服部がおそらく大学で経験したインシュリンショック療法中の事故。この事故は、きわめて危険であることを知りながら行っていた「遷延性昏睡」の最中に起きた。インシュリンによる昏睡が通常より長引くと、覚醒しないまま死にいたるケースがあることは知られていた。しかし、その一方で、「幸いにしてこの危機を切り抜けた場合には、時に縷々頓挫的に精神病が改善」することも知られていた。ドイツのKraulis という学者を引いて、さまざまな方法でも効果がない慢性型に対して、8-48時間昏睡を持続してよい成績を得たという知見を引いている。

服部たちは、これまでに6例の遷延性昏睡を経験し、うち2例は死亡、2例は完全寛解と社会的寛解、2例は痴呆状態になったが幻覚と妄想は消失し、家庭看護ができるようになった。 言葉遣いからは、2勝2敗2分け、あるいは4勝2敗だと思っていたふしがある。そして、問題の症例は、33歳の家婦で、発病1年半以来、カルヂアゾール、インシュリンでも効果なく、インシュリンで3回の遷延性昏睡を起こさしめたが、いずれも自然に醒める傾向があり、持続させるのにさらなるインシュリンが必要なほどだった。しかし、四回目は、昏睡から醒めないまま呼吸障害が現れ、血糖が335mg%にのぼり、ついに昏睡50時間で死亡した。(この335mg%という数字が何を意味するのかも私にはよく分かっていないが、昏睡にはいってからは60-75だというから、異常な値だったのだろう。)

服部は、この事故の原因は、それまでの三回の遷延性の昏睡でなんらの危険にも遭遇せず、それぞれの昏睡は自然覚醒したこと、遷延性の昏睡こそが目的であって、多少の呼吸障害があっても、覚醒を恐れて砂糖の補給を節約したことだとしている。さらに、「たとえ事故を起こしても十分に危機を脱しえると過信し、かえってそのような事故があったほうがよいとの気持ちがあったことは否まれない」と述べている。

70年前の医療事故の対応だと思うと、色々と分析ができるだろう。 しかし、「かえってそのような事故があったほうがよい」のあたり、何よりも、すごく率直・正直で、好感すら持った(笑) 危険ぎりぎりまでいかないと治療効果がない、虎穴にいらずんばという「雰囲気」があったことを雄弁に伝えている。