イタロ・カルヴィーノ『柔かい月』

博識の学生にしばらく前に教えてもらったイタロ・カルヴィーノという作家を、出張の移動時間に読む。文献は、脇功訳の『柔かい月』(河出文庫)。

イタロ・カルヴィーノはイタリアの作家で、1923年に生まれて1985年に急逝している。人間と世界についての科学的な理論とそこからの展開と、自由で詩的な空想力を絶妙なバランスで組み合わせた作風である。科学から作品のアイデアを借りて奇抜な前提からはじめている点ではSFだけれども、そこからリアリズム風のストーリーに進まずに、天馬空を駆けるような詩的な奇想に進んでいるところが特徴なんだろうな。

たとえば、細胞分裂に、通常の分裂であるミトシス(間接核分裂)と、生殖に関するときにおきるメイオシス減数分裂)があるということに着想を得て、そこからそれらの分裂の生物学的な記述と、「私」の自伝と、「私」が「プリシラ」なる女性に恋をする物語の二つの物語を重ね合わせて、「私」とは何か、「恋」とは何か(それはたんぱく質のまぜあわせである)というような主題に触れる、そんな具合である。

私が一番好きだったのは、「Qfwfq氏の話」(という、ふざけた名前の主人公&語り手が出てくる)の中の「血・海」と題された短編で、私たちの体内の体液は、生命が誕生した太古の海の水と組成が同じだという科学的な知識から出発して、私たちの内部にあるものは本質的には外部じゃないかというような詭弁を面白おかしくこね回して、この視点から、恋をした女性への欲情を空想力豊かに描いたもの。

最後に、余計なことかもしれないけれど、奇抜な着想、詭弁ともいえる楽しい屁理屈、そして詩的な想像力のミックスの具合が、このタイプのユーモアのセンスはどこかで前に見たことがある・・・と思っていたら、フランスの映画監督で、最近はハリウッドに進出して『エイリアン4』なんかを撮っているジャン・ルネの『デリカテッセン』『アメリ』などのセンスじゃないかと思いついた。読んでいる最中というより、読んだ後で「後を引く」面白さがあって、作品を読んだあと、自分の身体や自分の周りの世界がちょっと違って見えて、内心くすっと笑いたくなる。いや、まったく根拠がない連想だけども。