17世紀から20世紀までのアメリカにおける黄熱病の疫学研究を読む。文献は、Patterson, K. David, “Yellow Fever Epidemics and Mortality in the United States, 1693-1905”, Social Science and Medicine, 34(1992), 855-865. 著者は歴史疫学の仕事を沢山していて、スペイン風邪以前の18世紀から19世紀にもインフルエンザの世界流行がたびたびあったことを示した力作などは必読書。
スペイン領だったフロリダで1649-50年に流行したのが、北米における最初の黄熱病の流行だとされている。それから1905年まで、アメリカ(ここでは現在の合衆国にあたる地域をさす)は繰り返し黄熱病に襲われた。もとはアフリカの病気であるが、カリブ海地域でのサトウキビ栽培と奴隷の輸入によって、アメリカに定着したものである。黄熱病は、主に都市で起きる人間-蚊のサイクルと、森林のサル-蚊のサイクルの二つを持っている。一度感染すると生涯免疫ができるため、都市の流行は感染可能者がいなくなると自然収束する。アメリカでは後者のサイクルは存在せず、流行のほとんどは、中南米やカリブ海で感染した船乗りが港市に持ち込んだものであった。1794年のフィラデルフィアの流行は、ナポレオン戦争の結果、免疫を持たないヨーロッパ人兵士がカリブ海地方に送り込まれ、ハイチの反乱にともなってフィラデルフィアに逃亡してきたものが多かったことによる。1820年まではボストンやフィラデルフィアなどの北部の都市でも流行を起こしていたが、その後は南部の港町に限定され、特にニュー・オーリンズでは毎年のように患者が出ている。1853年の同市の流行は特に大きく、8000人から9000人の死者が出た。その後、1905年以降は、リード委員会の発見の後に重点的な蚊対策が立てられ、アメリカからは黄熱病は姿を消したが、中南米、そしてアフリカには長く残ることとなる。
この論文を読んで一番意外だったのは、アメリカにおける黄熱病の死者の「少なさ」である。この論文がカヴァーしている250年間で、合計で10万人から15万人程度の死者しか出ていないと推測されている。恥ずかしい話だけど、一回の流行でこのくらいの死者が出る病気かと思っていた。19世紀のヨーロッパのコレラと同じように、非常に恐れられ、死者数に較べて不相応に大きな注意を引いた病気であるといっていい。