保健衛生のグローバル化

未読山の中から、衛生のグローバル化を鳥瞰したサーヴェイを読む。文献は、Fidler, David P., “The Globalization of Public Health: the First 100 Years of International Health Deplomacy”, Bulletin of the World Health Organization, 79(2001), 842-849.

さまざまな健康ハザードが一国にとどまらずに国境を越えるようになって、19世紀の中庸から保健衛生がグローバル化してきたという、単純で粗雑とさえ言っていい概念枠組みだけど、あまりに唐突に色々な話題をコンパクトに並べるので、かえって深く考えさせられた。ポイントは「さまざまな健康ハザード」の「さまざまな」という部分にある。この概念でまず考えられるのは感染症で、1830年代初頭にコレラがインドから中央アジア・ロシア・東欧を経て西ヨーロッパに到達して各国に多くの被害を出し、1851年に最初の国際衛生会議が開かれるのは誰でも思いつく。この話題に並べて、麻薬・アルコール、労働環境上のリスク、国境を越える汚染と並べたところが、この論文の意表をつく部分である。

たとえはアヘンを中心とする麻薬であるが、国際アヘン委員会が1909年につくられ、そのご1912年から53年の間に、麻薬に関する国際条約は9つも結ばれている。アルコールについては、19世紀の末から、アメリカやイギリスから、太平洋の島嶼やアフリカの「未開人」の健康と社会がアルコールで蝕まれているから販売を制限するようにという法律が作られ、イギリスでは1884年、アメリカでは1890年、99年に立法化される。(このあたりの事情がよく分からない)労働上の健康ハザードについては、1919年のILOに結実する運動があった。かつては国家がその主権を持つ領域内に関して一手に担っていた保険衛生について、国家ではないアクターが現われたこともこの時期の特徴であり、パンアメリカン衛生会議(1902)や国際連盟保健局(1923)、WHO(1948)のような国家が連合した国際組織、ロックフェラー財団や国際結核予防連合、国際アルコール中毒対策協会のような巨大規模の慈善団体 、多国籍企業、そしてILOの各国の代表に列する権利を得た労働組合など、国家でないアクターが国際保健衛生に参加するようになった。

後半部分はいい。しかし、前半部で、一国を超えて広がる健康ハザードとして、感染症という最も分かりやすいものに加えて、アヘン、アルコール、労働上のリスクと、いやにすらすらと並べたところが、不思議というか新鮮というか、虚を突かれた感じである。いや、たしかに、どれも一国を超えて広がるものだけど、感染症がグローバルに広がるというのと、労働上のリスクが一国を超えて広がるという現象を、並べていいものかな、という感じがする。 一方で、そういうものを並べることで、何か新しい問題が見えるような気もする。 解剖台の上にミシンとこうもり傘を並べられたような感じかもしれない。