定義温泉

未読山の中から、精神病の湯治場として名高い定義温泉(じょうげおんせん)の歴史についての論文を読む。文献は、寺山晃一「定義の湯」『福島県医師会報』No.44(1982), 12月号、68-75. 昼田源四郎「『気違いの湯』―定義温泉の歴史聞書」『日本医史学雑誌』23(1977), 370-379.

定義温泉は、現在は仙台市青葉区に位置するが、昔からの地名で言うと大倉村というのだろう、平家の落人の伝説もある山深い地にある温泉である。村からは一里ほど隔たった地にある。いつごろこの温泉が開削されたかは明らかでないが、この随筆では、1818年、1849年、1830年ごろと三つの年代があげられている。「頭に効く」として患者が集まりはじめたのは明治の末くらいからだという。その温泉には温泉旅館があり、患者1人につき2-3人(この論文では「二-三十人」の家族や付き添いがいたと記されているが、さすがにこれは誤植だと思うんだけど・・・)の家族や付き添いがついていたので、温泉旅館自体が持つケアのキャパシティは小さくても、比較的多くの患者をさばくことができたし、患者と家族の側から見ると人件費が安くて済むので長期の逗留が可能になる。私は、フランスの精神病院のプロトタイプが一般施療院だとしたら、日本の精神病院のプロトタイプは温泉旅館であるという、根拠薄弱にして品が悪い説(笑)を唱えてみることがあるので、温泉旅館の存在はちょっと嬉しかった。

日本の精神医学の父たる東大精神科の教授の呉秀三は、大正6年に門下生で後に九州大学の教授となった下田光造をこの地を派遣してその療法を調べさせているが、下田の記述は著しく好意的であり、民間療法的な精神医療や患者の管理を徹底的に敵視した呉秀三でさえ、定義温泉については例外的に高い評価を与え、これに医学的な施設を加味すれば、非常に良好な保養所になるだろうという意味のことを書いている。その一つの理由は、定義温泉は37-39度と湯温が低いために長時間の入浴が行われ、それが当時流行していた持続浴にマッチしたからだと説明されている。実際は、浴槽内で縛り付けて長時間入浴を強制された患者もいて、他の民間療法の場に較べて、呉が言うほど傑出して優れたものであったかは疑問であるというニュアンスが伝わる記述になっている。

著者の一人の寺山が昭和29年に福島精神病院に赴任したときには、患者の家族から「じょうげの湯」という言葉をよく聞いたそうだが、その後1,2年のうちに、それを聞くことがほとんどなくなり、彼の記憶から消えていたが、昭和48年に呉秀三の有名な私宅監置の論文が復刻され、その中の定義温泉の記述を読んだときに、20年前によく聞いた温泉の名前が記憶から蘇ってきたそうだ。