コンスタンティノープルの病院

必要があって、12世のビザンティン帝国の首都に建設された「現代を先取りしている」病院を研究した本を読む。文献は、Miller, Timothy S., The Birth of the Hospital in the Byzantine Empire, with a new introduction by the author (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1997).

1136年にビザンティン帝国の皇帝ヨハネスII世(えっと・・・東ローマ帝国皇帝の呼称って調べないとわかりません・・・)が、首都のコンスタンチノープルに50の病床を持つ「パントクラトール病院」を開設した。これは同名の大きな修道院が運営する慈善の一部であったが、その慈善の内容は、同時代の西ヨーロッパの歴史においては見られない、現代的な病院に非常に近いものであった。パントクラトールは、1) 一般的な慈善ではなく、病人に特化した治療とケアを行っていること、2) 身分や財力を問わず、病人であれば貧民はもちろん富裕な層も受け入れること、3) 多数の医師による高度な医療に力点が置かれ、医学教育にとっても重要であること、などの特徴を持っていたが、これらをすべて備えた病院が西ヨーロッパで現れたのは19世紀の後半から20世紀の前半であった。現代を先取りして12世紀のビザンティンに現れたパントクラトール型の病院は、同書の著者によれば、さらに500年ほどさかのぼることができるというが、これは断片的な証拠からの推測にとどまっているというべきだろう。著者は、病院の歴史を大きく書き換えることを意図していて、この書物が出版されたときには激しい批判と論争を呼んで、それに応えるイントロダクションが付されている。パントクラトールの例については堅固な実証で支えられていて、私には説得力があった。

ある章で、医療と慈善の関係についての初期キリスト教徒たちの態度の変遷が簡単にまとめられていて、そこが面白かった。病人をいつくしむことは最高の徳であり、隣人愛の発露として最高のものであることは、ほとんどのキリスト教徒たちが合意していた。いっぽうで、聖書には病に苦しむ人を愛せよとは記されているが、その愛情を具体的に表現する方法として、すぐれた医療を手厚く与えよとは書かれていない。キリスト教の慈善の中心に「なぜ」異教徒の学問である医学が置かれるのかということは、慈善を重んじた初期キリスト教徒たちの多くが意識していた問題であった。神の<みこころ>に沿って病人をいたわりその悩みや苦しみを救うことを目指す営みにとって、体液のバランスとかそういう自然の物質的な問題について口から泡を吹いて論争している自己顕示欲が強い異教徒(笑)のわざである医療は、はたしてふさわしいものなのだろうか。キリスト教徒の中には、当時の基準で言って洗練された医学を、異教徒のわざとして拒絶するものも多かった。医師を擁護したオリゲヌスでさえ、医者にかかることは、結婚することと同じで、キリスト教徒が「してもいいこと」にすぎず、真に徳が高いキリスト教徒が独身を守るように、最高に優れたキリスト教徒は医者に掛からないものだと考えていた。 ・・・非常に意表をついていて、秀逸な意見だと思いませんか(笑) 

冗談はともかく、初期キリスト教徒たちが直面した、「ある目標を実現するのに、医療を中心に据えることが本当に必要なのか」という議論は、これからよく耳にするようになるんだろうな。たぶん、コストベネフィットとか、そういうことばかりが議論されるのだろうとは思うけど。