1960年にノーベル医学生理学賞を受賞したフランク・マクファーレン=バーネットの「自己」概念の起源についての論文を読む。文献は、Park, Hyung Wook, “Germs, Hosts, and the Origin of Frank Macfarlane Burnet’s Concept of “Self” and “Tolerance”’, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 61(2006), 492-534.
オーストラリア出身の20世紀後半の偉大な免疫学者で、自己-非自己という汎用性がある理論(これがまだよく私には分かっていないけど)を生み出したバーネットの Natural History of Infectious Diseases (1962)は、日本の疾病史の研究者にもっと知られていい名著である。そのバーネットの免疫理論の起源についての優れた論文で、私は偉大な科学者の仕事を的確に説明している仕事が大好きだから、喜んで読んだ。
議論のコアは、それまでバーネットの自己-非自己理論の起源だと考えられていた胎生学の知見とは別の起源があり、それは細菌学であるというもの。これは、バーネット自身が自伝の中でそう特定しているものとは違う起源があると主張することになり、かなりハードルが高いテーゼになるが、丹念にバーネットの生涯を追った、説得力がある論文になっている。
1920年代にロンドンのリスター研究所で博士論文を準備していたバーネットは、イギリスの細菌学の影響を大きく受けた。それは、パスツールやコッホたちの理論を単純化して、細菌が感染症の「十分な」原因であるという説からずっと距離を置いて、ホストの側の条件も重要であるということを常に意識した細菌学であった。この時代に公衆衛生の一つの焦点となった健康保菌者の問題も、細菌や病原体が体内にあるだけでは発病しないという事実を研究者たちにつきつけていた。1929年にSFで有名なH.G. ウェルズらが書いた Scientific Life という書物も(こんな本があったんだ・・・無知を恥じます)、細菌とホストの間の共生概念が前面に出た内容で、病原体とホストを単に敵対的に捉え、病原体の侵入のみが感染症の原因であるという説を攻撃した内容になっていた。
オーストラリアに帰ったバーネットに、ホストの条件の重要性を認知させたのは、1928年にクイーンズランドのブンダバーグ (Bundaberg)で起きたジフテリアのワクチンの薬禍事件であった。接種されたワクチンに雑菌が混入していた結果、21名が感染し、うち12名が死亡した。これを調査したバーネットは、この雑菌が通常は人間の皮膚の上で何の感染も起こすことなく共生している菌であるのに、血液に入ったときには重篤な感染を引き起こしたこと、そして被害は幼い子供に集中し、生存した9人はすべて年長の子供であったことを気がついた。病原体が侵入する場所と、ホストの年齢によって、ひきおこされる結果が違うのは「なぜ」だろうということを緻密に考えることからバーネットの新しい理論への道程が始まっている。
オーストラリアの野生のオウムの研究も、ホストの状態への注目を促した。オーストラリアに住むある種のオウムの腎臓や脾臓は、ある種のウィルスが常在的に存在しているが、病気を引き起こすことはない。しかし、これを鳥かごに入れて劣悪な条件で飼うと、このウィルスは鳥の病気を引き起こしてしまう。これは、オウムの腎臓や脾臓ではウィルスとの均衡が成り立っており、これらのウィルスを「許容」(tolerate) しているが、条件が悪くなって許容のバランスが崩れると、ウィルスが全身に広まって発病するというメカニズムであると理解された。
1920年代以降の細菌学の複雑さとその変容が丁寧に描かれている。この論文を読むと、細菌学自体が20世紀に入ると重心を徐々に変えてきたありさまがよく分かるし、公衆衛生においても、隔離と消毒の全盛時代から、ホストの側に重心を移した政策へと連続的に変わっていく過程が想像できる。保菌者問題について、アメリカで健康保菌者が終生監禁された「腸チフスのメアリー」の事例ばかりが注目されているが、私が表面的に資料を見た印象では、実際の保菌者対策ははるかに複雑で、医学による社会の支配の表現としての隔離の進展という側面は、おそらくマイナーな部分にすぎない。その複雑さの一端は、当時の医学・生物学理論の中で興隆していた洗練された感染のメカニズムの理解にあるのだろう。
なお、本文中で触れたバーネットの著作は、『感染症の自然誌』として1966年に翻訳が出ています。天然痘や麻疹といった単純な感染症のメカニズムをはるかに超えた、洗練された環境と人体と感染症のモデルのヒントがちりばめられています。