医学と人文主義

必要があって、ルネッサンスの医学と哲学と人文主義についての古典的な論文を読む。文献は、Bylebyl, Jerome L., “Medicine, Philosophy and Humanism in Renaissance Italy”, in John W. Shirley and F. David Hoeniger eds., Science and the Arts in the Renaissance (Washington D.C.: Folger Library, 1985), 27-49.

医学というのは、厳密さと理論性を志向する科学に基づいていると同時に、人間を相手にする実用的な技術であるという二つの側面を持ち、この二つの側面は、医学の内部に緊張的な対立をはらんでいた。(おそらく現在でも、科学的には厳密に説明できないけれども、実用で効果を挙げているから使われている薬というのは沢山あるだろう。)この論文は、ルネッサンスの時期を例にとって、この問題に光を当てた研究である。

もともとガレノスは医者にして哲学者であることを誇りにしていたし、中世のヨーロッパにアラビアを介して古代のギリシア医学がもたらされて大学教育に取り込まれたのは、アラビア流に哲学と医学を融合させた理論的な体系を持つ医学であった。その結果、中世の医学はアリストテレス=スコラ哲学と合体して、精妙な理論的な体系を持つ大学で教えられる学問となった。その一方で、医学は純粋な理論的な思索だけでなく、実際の診療にたずさわるための技術であり続けていた。

大学で自然哲学と医学の双方を学んだ医者たちは、自らを「哲学者にして医者」(philosophicus et medicus )と称したが、これは「自称」の色合いがかなり強い呼称だった。14世紀の人文主義者のペトラルカは、自ら哲学者と称した医者に対して、「技術を金で売る技術者のくせに」とせせら笑っている。ペトラルカの医者嫌いは有名で、ここには個人的な事情もあるだろうが、スコラ学の硬直した理屈っぽさと野蛮なラテン語(私にはどこが野蛮なのかまったく分かりませんが・・・笑)を敵視したペトラルカにとって、スコラ的な中世の医学はそれ自体いとうべきものであった。実用的なわざとして経験に基づいたシンプルだけど有用な職人芸でいればいいものを、衒学的な理論を振り回して治療が効かないことをごまかそうとしている医学に向かって深い軽蔑を向けたペトラルカは、当時の医学の一つの本質的な特徴を突いている。

それから二百年後、同じ「人文主義者」としてくくることができるエラスムスは、ニコラ・レオニチェロという医学教授を肯定的に評価している。それは、レオニチェッロが、ギリシア医学の古典を研究する人文主義的な医学を開拓し、エラスムスにとって同志となったからだけではない。レオニチェッロが行った、ガレノスを始めとするギリシア医学の古典に出てくる、ギリシア語の病気の名前、薬草の名前、人間の器官の名前などを文献批評によって研究して、どの病気にどんな薬が効くかという記述を正確に定めようとした努力を高く評価したからである15世紀にはいって、医学がスコラを捨てて人文主義に同化した理由の一つは、医学が文献学的な方向に進むことで実用の見返りがあると考えられていたからである。「医学ほど、言語上のあやまりが深刻な結果を生んでしまうものはないから」というのがエラスムスがレオニチェロの仕事を評価した理由であった。人文主義は、医者が美文を書けるようになることだけではなくて、医学の実用的な側面にも貢献すると信じられていたのである。