日露戦争の陸軍と脚気

未読山の中から、日露戦争の陸軍の脚気について論じた頂いた論文を読む。文献は、内田正夫「日清・日露戦争脚気」『和光大学総合文化研究所年報 東西南北2007』144-156.

日清・日露戦争は、陸軍と海軍の脚気対策の違いをまざまざと見せつけた戦争であった。日清戦争の陸軍においては、約4000人の脚気による死亡者が出て、これは全死亡者の約8割にのぼる数字である。海軍の脚気患者は34名、うち死亡者はゼロ。日露戦争は、田山花袋が従軍記者としての経験を盛り込んだ小説「一兵卒」の中で描いたように、脚気による死亡がさらに相次いだ。参戦総兵員109万人のうち、全傷病者35万人、うち脚気患者は少なく見て21万人という数字があげられている。脚気による死亡は2万7千人にのぼり、戦病死者の75%をしめた。それに対して海軍では確かにもともとの人数も違うが、脚気患者87名、死亡者は3名であった。

これは海軍が軍医の高木兼寛の発案で実験を行い、麦飯を糧食にしていたせいだという話は有名である。この論文は、これに関して海軍を称えるのではなくて、陸軍を弾劾する論文である。森鴎外を中心とした陸軍の東大-ドイツ留学の軍医たちが、細菌学と東大・ドイツ・陸軍のメンツにこだわって、海軍の成果を無視し続けたありさまが描かれている。著者はそういう言い方はしていないが、軍が(おそらく陸軍も海軍も)秘密主義というか情報統制を敷いて、公共圏のもとになかったことが大きな原因なのだろう。