優生学の歴史

確かめたいことがあって、優生学の歴史の古典を読みなおす。文献は、Kevles, Daneil J., In the Name of Eugenics: Genetics and the Uses of Human Heredity (Cambrdige, Mass.: Harvard University Press, 1995).

8-11章は、1920年代から40年代を扱っている。この時期は、20世紀初頭の優生学と、それに基づいてアメリカの多くの州で行われた断種などの政策に対する批判が、さまざまな分野から現れてきた時代であった。カトリック教会は肉体でなく霊魂を重んじる立場から生殖を優先事項にすることに反対し、政治的リベラルや社会主義的な傾向を持ってたものたちは優生学は「階級的・人種的偏見」にまみれた疑似科学だと糾弾し、チェスタトンなど理系嫌いの文人は優生学の中に「二流三流の科学の教授が官僚的傲慢と結託したドイツ主義」を見出して嫌悪し、ソーシャルワーカーなど、貧困者と密に接触して社会の不平等の実態と問題を間近に観察していたものたちは、優生学いう断種による「問題の解決」という方策に違和感を感じていた。

これらに加わって、古典的な優生学の英米での公的な場での衰退に大きく貢献したのが、エリート科学者たちであった。彼らの多くはエリート階層の出身で左よりの政治思想を持ち、有力な大学のスター科学者であると同時に積極的に論壇で発言していた。世紀初頭の優生学が英米で急速に退潮していったのは、彼らの力によるところが大きい。しかし、それと同時に、彼らは人間改良のヴィジョンを捨てたわけではない。ここに、現在の遺伝子操作による「リベラルな」人間改良のヴィジョンの根本があるのだろうな。

これは『優生学の名のもとに』という題名で翻訳が出ていて、私は読んでいないけれども、この翻訳についてちょっとした苦情を書かせてください。翻訳の題名は原題をそのまま訳していてなんの問題もないが、これに「「人類改良」の悪夢の百年」という副題がついている。本書は確かに「人類改良」を称した優生学と遺伝子学の問題点を指摘する書物だが、「悪夢の百年」を描いた本ではない。主たる対象としている国はアメリカとイギリスで、特に後者について同書に書かれていることに、「悪夢の百年」という表現が当たっているとは思えない。

たぶん、この副題に引きずられて、アマゾンの書物の紹介には「IQテストや家系調査によって「劣等者」「欠陥者」を決め、優生学の名のもとに隔離や強制断種まで行った英米の苦く暗い歴史。遺伝子操作のこの時代によみがえろうとするこの暗い影に警鐘を鳴らし、差別と抹殺の科学を検証する」とある。これも、この本そのものの内容よりもはるかにどぎついトーンになっている。副題も要約も本の内容を正確に伝えていただきたいです。