『岩手県漁業史』

必要があって、『岩手県漁業史』(1984)の江戸時代と明治初期の部分を読む。私は医学史の研究者だけど、このような文献を読まなければならない研究に迷い込んだことが、自分でもちょっと信じられない(笑)

リアス式海岸で有名な三陸地方は現在でこそ日本有数の漁業基地だが、江戸時代には、たとえば江戸のような巨大な消費地を後背に持っておらず、むしろ漁業は振るわなかった。海と山の間の狭小な土地は農業を行うのには全く不十分であった。江戸時代前期には、素水法という海水をそのまま煮沸させて塩を取り出す製塩業が発達したが、燃料としての塩木山を伐り尽した結果、それも立ち行かなくなった。気候の不順などもあって、住民は深刻な貧困に苦しんでいた。1862年に仙台藩が行った調査によると、気仙郡の綾里村では、全村民の9割以上が、田畑を所有せず、貯えは一切なく、食う米すらも買っている状況だったという。

一方で、江戸と日本海側を結ぶ航路の開発に乗じて、廻船を所有して大規模な商業活動を行うものも現れていた。また、19世紀以来「田代型」と呼ばれる建網式漁業が発達していた。これは、網を操作するのに30人内外の漁夫を必要とする定置網の漁法であり、それぞれの「浦」で仕事をする家族経営的な漁民から、別の浦の建網に出稼ぎに行く労働者の性格を持った漁民も現れていた。たとえば南閉伊郡(当時)の大槌村においては、イワシの建網漁化が進み、漁民の階層分化が進んでいたと考えられるという。

この本を読んで、三陸のコレラの流行の背景がかなり分かってきた。 あとは三陸の地質学が決め手になると思います。