太宰治の心中

未読山の中から、太宰治の心中事件の真相を論じた書物を読む。文献は、長篠康一郎『太宰治 武蔵野心中』(東京:広論社、1982)を読む。

昭和二十三年の六月十三日の夜更けに太宰治は山崎富栄とともに玉川上水に身を投げて心中した。人気作家の心中は大きな話題とその背景への憶測を生み、太宰が入水に激しく抵抗した痕跡があったことなどから、当時から、山崎による無理心中説、はては他殺説までがささやかれたという。それらの説を批判し、山崎の名誉回復をはかった書物である。

これは、私が太宰についての知識が全くなく、またこの手の「熱い」評論を読みなれていないということが大きいけれども、正直言ってとうてい読める作品ではなかった。文芸評論の世界の「しきたり」に無知な学者風のことを言って申し訳ないけれども、批判したい相手を「ある大学教授」「ある評論家」「ある郷土作家研究家」などと書いて、その出典はおろか書き手すら明示しないスタイルは、学者の間で受け入れられないだけではなく、一般社会でも受け入れられないスタイルだと思う。こういう書き方をされると、言っていることは正しいのかもしれないけれども、説得力を減らす効果しかないと思ってしまう。