心理療法のつゆはらいとしての電気ショック

必要があって、イギリスの身体的精神医学の大物の本を読む。文献は、Sargant, William, Battle for the Mind: the Mechanics of Indoctrination, Brain Washing and Thought Control (London: Pan Books, 1957).

ウィリアム・サージェント(William Sargent, 1907-1988)は、20世紀イギリスの精神科医。当時は力を持っていた、心理的・社会的な側面を強調する精神医学を敵視し、身体的・化学的な研究と治療を推進したので、ネッド・ショーターに英雄視されている(笑)。 この書物が出版された当時のイギリスは、冷戦のさなかキリスト教の衰退がすすむという、二つの大きな現象に直面していたが、この二つの現象を精神医学的に説明した同書は話題を呼んだ。すなわち、共産主義体制が人間を「洗脳」しているのは絵空事ではなく脳科学に基づいていること、宗教的な信仰や改心も脳科学に基づいていることを論じたのである。この部分も丁寧に読んで考えると面白いだろうけれども、今回は、これらの現象を説明するのに使われている精神医学のテクニカルな議論を検討した。

ぱっと見だけれども、サージャントの精神医学の基本は、パブロフの実験と第二次世界大戦の際の精神医療である。パブロフについては、精神医学に実験医学を持ち込んだという一般的な業績のほかに、実験用の犬を飼っていた犬舎が洪水にあって、犬が溺死の恐怖と戦っている時の犬の興奮と、その後の犬の実験への反応という特定のテーマがサージャントの中心を占めている。第二次世界大戦では、ダンケルク撤退やノルマンディー上陸作戦など、戦史上の鍵となる重要な戦闘に参加した兵の精神医学的な治療、特に戦闘の恐怖のあとの心理状態の研究が重要になっている。ふと思いついたのだけれども、この、戦争に伴う神経症・精神病の治療に多数の精神医学者が参加しなかったことが、日本の戦後の精神医学の一つの出発点になっているのだろうか? いや、話はそんなに簡単なことじゃないだろうけれども。

これらの実験や経験がサージャントに教えたことは、患者の精神状態が激変し、思考や感情の停止状態があらわれるほど大きな刺激を脳に与えることにより、患者の精神に介入しやすくなるということであった。この介入は、薬物でもいいし、心理療法でもいい。とにかく、最初に強烈なショックを与えて、停止状態を引き起こさなければならないのである。たとえば激しいうつの患者に電気ショックを与えると、それまでの否定的な感情が解除・解放されて、心理療法による改善をしやすくなる。電気ショックを心理療法の「つゆはらい」として使おうという発想である。

ロボトミーの例の中で、一つ面白い事例があったので書いておく。現在の日本やアメリカとは違い、イギリスの精神医学では、ロボトミーは絶対悪としては捉えられていない。これが書かれている時期(1954年)もあって、サージャントはロボトミーに対して否定的な立場を取っていない。強迫観念や不安を伴う神経症が慢性化したときには、最後の手段としてロボトミーを使うのもやむをえないといっている。そういった症例の一つで、自分の顔がゆがんでいるという妄想を持ち、人に笑われるのが不安で外出できない患者にロボトミーを施した事例を紹介している。ロボトミーの結果、自分の顔がゆがんでいるという妄想は残ったけれども、強い不安がなくなったので、外出して仕事をして社会生活を営めるようになったという。そして、不安感情が低下したあとで、妄想も消えていったという。

これは、どのような意味で「治療」だと考えられていたのだろう? あと、不安に対してロボトミーを施すというのは、それだけ聞くと空恐ろしくなるような話だけれども、実際のところはどうだったのだろうか?