日本のインシュリン昏睡療法

必要があって、昭和戦前期の精神分裂病(現在の言葉でいう統合失調症)に対するインシュリン昏睡療法の長中期効果を研究した論文を読む。文献は、林章・秋元波留夫「精神分裂病の予後及び治療」『精神神経学雑誌』43(1939), 705-742. (林章の章は、日へんに章)

インシュリン昏睡療法は1934年にウィーンの精神科医ザーケルによって発表され、即座に世界各地の精神科クリニックなどで実施される。日本への導入は当時植民地だった京城で1936年だから、非常に早い。精神医療の「新療法」の常として、日本でも欧米でも当初は非常に高い治癒率が報告され、よく言えば興奮、悪く言えば浮わついたユーフォリックな論文が目に付く時期であった。その中で、林・秋元の論文は、よく言えば日本にもお調子者でない冷静な精神科医がいることを示す緻密なものであり、悪く言えば分裂病の本質はインシュリン昏睡などでは変わるものではないという神格化すらうかがえるものであって、色々な意味で読んでおいてよかった。 

前半は東大のクリニックと松沢病院を退院した分裂病の患者の予後について。後半で当時先を争うように各大学と医学校精神科に導入されていたインシュリンショック療法とカージアゾル痙攣療法の治療成績について、合計約1000人の患者の退院時の転帰を調査し、それに加えて東大と松沢の両療法を受けて退院した患者の1年後の転帰をフォローアップで調べたもの。退院時転帰では完全寛解と不完全寛解をあわせたいわゆる寛解率が40%台の後半、一年後には40%程度で、これは持続睡眠や一般の治療法の30%前後の数字よりもかなりいい。(もちろん、この数字は、治療を受けて退院した患者だけを対象にしたもので、私費患者が多い。これは、松沢の患者の8割近くを占めていた公費患者で、慢性化して人格が荒廃したまま精神病院で死を迎える部分を全く無視した数字である。)それにもかかわらず、林らは、分裂病に内在する転帰のメカニズムは、インシュリンやカージアゾル療法は変えるわけではないと主張する。これらの治療法は、分裂病のメカニズムの中で働いているという。 

私は秋元らの分裂病概念については知らないが、ここに、「インシュリンも持続睡眠も分裂病の掌の中で起きている現象に過ぎない」という、分裂病の神格化と言ってもいいものを感じる。 これも無責任な方言だけど。