必要があって、環境健康論の古典を読む。文献は、McMichael, A.J., Planetary Overload: Global Environmental Change and the Health of the Human Species (Cambridge: Cambridge University Press, 1992).
同じ著者が2001年に出版した Human Frontiers, Environments and Disease も非常に優れていたが、この書物も優れている。それは、今から15年前の環境論だから、書いてあることで特に目新しいことはない。(もちろん私が知らないことはたくさんあったけど。)もともともこの著者の狙いは、「オゾン層の破壊で皮膚がんが増える」といったような、貴重だが断片的な知識を伝えることではなく、それらを組織して、体系性を志向する説明を提供することである。それぞれの節ごとに、こう考えればいいのかという目からうろこが落ちる洞察がある。その中から二つほど。
ひとつは、環境と経済(と感染症)をつなぐ視点である。ホモ・サピエンスという種の特徴として、「現地のエコシステムに直接依存している状態から、一階梯だけ離れて生存できる」と表現している。生存に必要な物資やエネルギーを、居住している環境そのものに自然に存在するものの外から得て、自然状態での不足を補う手段を持っているというのだ。その手段とは、他の土地・環境に住んでいる人間との「交換」である。言われてみれば当たり前のことだけれども、そうか、こう表現すればよかったのかと納得した。
もうひとつは、健康と経済発展の問題である。いま私は明治期日本のことを調べているが、当時の政治家や医者は、富国強兵には健康な国民を確保することが必要であると繰り返していた。しかし、歴史的には、健康状態の向上は経済発展の必要条件ではなかった。それは、経済発展は健康を「消費して」進行する場合もあるからである。たとえば工業化時代のイギリスの都市では、経済発展と同じ時期に健康状態はむしろ悪化したことはよく知られている。それは、もともと健康であった若者の「健康を食いつぶして」経済が発展したからである。この、「食いつぶすことができる健康」という発想も、目からうろこが落ちた。