戦前の精神医学の教科書



必要があって、戦前の精神医学の教科書に目を通す。文献は、下田光造・杉田直樹『最新精神病学』第三版(東京:克誠堂、1926)と、第五版(1932年)。

医学史研究の手法の一つに、ある期間にわたって医学の特定分野の教科書の変遷を比べて、その違いを研究するというものがある。私自身は使ったことがないし、最近の医学史研究の手法としては最先端とは言えないけれども、着実で色々なことがわかる方法なので、機会があれば使ってみたい、あるいはその成果を知りたいと思っている。(誰か、こういった手法を使った成果を知っている方は教えてください。)

下田と杉田の教科書は戦前に人気があって第五版まで版を重ねたものの一つである。他の教科書と比べたわけではないけれども、第四版以降に追加された、精神医療の社会的・法的側面についての記述(実際はいくつかの法律の抜粋にすぎない)が一つの大きな特徴。フロイトの学説について、慎重だけれども積極的に紹介していることも、たぶん、もうひとつの特徴だろう。(クレペリンは合計すると4000ページを超える精神医学の教科書を書いたが、その中で「フロイト」という単語を一回か二回しか使っていないそうだ。)

それからなんといっても、東大の精神医学教室から提供された百数十点の写真が使われている。患者の表情や姿勢、患者が書いた文字や集めたものなどが中心であるが、顕微鏡写真などもかなりある。麻痺性痴呆やアルツハイマーなどの脳細胞の変化を示したもので、麻痺性痴呆のものはカラーのイラストである。麻痺性痴呆についての記述は、早発性痴呆とほぼ同じくらいのページ数が使われていて、あるいは数え方によっては麻痺性痴呆のほうが多い。この時期の日本の精神病医が第一に必要としていたのは、麻痺性痴呆の診断であって、下田らの教科書もそれを反映している。

画像は本書より。麻痺性痴呆と早発性痴呆の患者の写真。前者の恐ろしさが強調されている。