母乳保育の衰退


必要があって、19世紀から20世紀のアメリカにおける母乳保育の衰退を論じた書物を読む。文献は、Wolf, Jacqueline H., Don’t Kill Your Baby: Public Health and the Decline of Breastfeeding in the 19th and 20th Centuries (Columbus, Ohio: The Ohio State University Press, 2001).

19世紀の半ばから20世紀にかけて、アメリカの女性たちは、母乳保育から離れていき、母乳以外の食物を乳児に食べさせるようになった。19世紀の末以降には、母乳保育の子供とそうでない子供との間の死亡率の劇的な違いに驚愕した公衆衛生医や小児科医は、大々的な母乳キャンペーンを展開したが、一方では牛乳やコンデンスミルク、粉ミルクなどの母乳の代替物の安全性を高めることも行われ、母乳保育から離れる傾向と母乳キャンペーンは並行して存在した。この書物の一番面白いポイントは第一章で、そこでは、アメリカの女性たちが母乳保育から離れていったさまざまな理由が分析されていて、そのままコースのリーディング・マテリアルになるようなところである。

たとえば、出産-授乳の社会的性格の変化だが、一人の女性が産む子供の数は、1800年の約7人から、20世紀の初頭には約3人になり、子供を産んで出産することが比較的まれになった結果、出産-子育てが性格を変え、かつては知人や親類の出産・授乳に立ち会って知識を得ていた女性たちが、出産と授乳を取り囲んでいた社会的なネットワークを失って、医者以外に頼る人がいない状況が作られていたことが指摘される。その結果、細菌学が説くような、自分の体から出る母乳も含めて、すべてのものが細菌に汚染されていて乳児に有害ではないかという不安が現れる。あるいは、一定のスケジュールに合わせて赤ん坊に授乳する子育て法が現れて(これも生活の合理化と、ロマンティックな夫婦生活のために夫と二人きりの時間を過ごすためという、新しい文化的な傾向の産物であるという)、その結果、必ずしもこのスケジュールどおりに十分に母乳が出ない母親が、自分の母乳に対する自信を失うという事態がもたらされた。一方、上でも触れた結婚のロマンティック化は、乳房の性格を変えて、それは生殖のためというよりも性的な魅力を発するための器官になり、授乳するためのものであるという意識を薄めさせた。

画像は、シカゴの公衆衛生課のポスターより。赤ちゃんを「死の輪舞」が取り巻いていて、「かごめかごめ」のような趣がある。