江戸時代の「マラリア」


必要があって、江戸時代の「瘧」についての記述を読む。文献は、和田東郭『蕉窓雑話』近世漢方医学書集成15(東京:名著出版会、2001)

和田東郭(1743-1803)は京都の医師、近世派と古方派を折衷したいわゆる折衷学派の名医である。彼の談話を書きとめたものを弟子たちが出版したのが『蕉窓雑話』で、1821年に刊行されている。この書物は、それを含めた東郭の書物のリプリントに短い解説がついたもの。需要はあまり多くはないのだろうが、オンデマンド出版ということで刊行されたものが手に入り、非常に便利である。

マラリアは、江戸時代には、鎌倉・室町時代に較べて、その深刻さを減じたと言われている。古気候学が教えるところによれば、日本の気候は1200年ごろを境に次第に寒冷化し、1700年ぐらいに最も寒冷化した。最高と最低を較べると年平均で2℃くらいの低下で、私はこの温度変化がマラリアの発生にどの程度の変化を与えるのか知らないけれども、とにかく気温がかなり下がっているのだから、マラリアの発生にマイナスの影響を与えるのは間違いないだろう。問題は、それにもかかわらず江戸時代の医者たちの書いたものは、「瘧」が日常的な病気であるという前提で書かれていることである。マラリアの発生に関して、寒冷化していったい何が起きたのか、もっと正確に知らなければならない。この研究は、かなり難しいけれども、不可能ではないだろう。

たとえば、東郭は「瘧」について、次のように言っている。(74-75ページ)日本は水国だから、湿邪に感ずるせいで瘧が多い。人々で罹らないものはいない。年々瘧に苦しむものも多いが、一方で、「伏邪を除く」といって、瘧に罹るとほかの病気に罹らないと信じるものも多い。夏秋に多いが、だいたいいつでもある。他の地域から瘧がある地域に来て寓するものは、瘧に罹って難儀するが、土地のものは病状も知っているし、他の国のものほど恐れないし、また、軽くてすむ。悪寒と発熱があると、はじめは恐れて服薬するが、瘧と分かると安心して服薬しない。熱の高低が4,5回続くと、地蔵を縛って願をかけたりする。しかし、初めて罹る瘧は治しにくい。これは、幼児では軽いが、年をとったものでは重くなる。

ここで言われている「瘧」をマラリアのことだと前提して話をすれば、少しは面白いことが言える。でも、あまりに手持ちの材料が少ないとき、歴史学者として、そんなことをするのは、やっぱりよくない。

画像は、18世紀末のイギリスのもので、おこり(ague) に罹って悪寒がして暖炉にあたっている患者をあらわしたもの。冷気を象徴する怪物が、患者に爪を食い込ませてがっちりとつかんでいる。 ・・・いや、怪物の話は、もういいから(笑)