疾病と社会の多様性

必要があって、南北アメリカと太平洋地域にヨーロッパ人が進出したときの疾病が与えたインパクトを論じた書物を読む。文献は、Kunitz, Stephen J., Disease and Social Diversity: the European Impact on the Health of Non-Europeans (Oxford: Oxford University Press, 1994). 筆者は、歴史疫学ができる医療人類学者で、独創的な論文を数多く書いている。

ローカルな人類学的なフィールドワークの部分と、(歴史)疫学的な部分に分けることができるが、今回は後者だけ読んだ。研究史的に言うと、「ヴァージン・ソイル」の概念を大きく洗練させるもので、特に一章と三章は、私がこれまで自分で考えていたり、他の論文や本を読んで学んだことを、正面から取り上げて論じている、まさにどんぴしゃりの論考だった。

これまで免疫を持たなかった集団に、世界のほかの部分では常在化しているあらたな感染症が進入して大きな被害が出る現象は頻繁に観察され、アメリカ大陸の原住民の壊滅的な被害と、ヨーロッパ人の進出に見られるように、世界のあり方に根本的な影響を与えた現象として、その重要性が認識されている。これを、当該の感染症がまだ進入しておらず免疫を持っていないという意味で、「ヴァージン・ソイルへの流行」などと呼ぶ。

免疫を持っていないという側面が非常に重要であることはもちろんである。しかし、それがヴァージン・ソイルの人口減少の全てを説明するわけではない。同じアメリカのヴァージン・ソイルでも、カリブ海の原住民は速やかに激減して絶滅し、北米のいわゆるインディアンは人口は減少したが、絶滅にはいたらなかった。同じヴァージン・ソイルでも、進入した感染症のインパクトは違うのである。「バイオロジカル・ヒストリー」の提唱者は、免疫という人間の生物学的な側面を強調して立論する。免疫と疾病の進化が世界史にとって重要であることを、出発点として共有しない歴史学者はおそらくもういない。そこから出発して、疾病のインパクトがどのように違うのかということを吟味する段階に入っている。

この書物は、太平洋の地域から、ニュージーランドのマオリ族、ハワイ、サモア、トンガ、タヒチなどが、ヨーロッパ人との接触のあと、どのように人口が変化したかを調べ、大きく分けて二つのパターンを見出している。NZやハワイのように、18世紀末から人口が激減した地域と、サモア、トンガ、タヒチのように、人口の減少は緩やかで、19世紀にはほぼ一定を保った地域である。(記録が存在する以前の人口推計は、歴史人口学の泣き所だけれども、その問題は私には論じる資格がない。)どちらの地域もヴァージン・ソイルであり、どちらの地域にもヨーロッパ人(あるいはアメリカ人、そして部分的には委任統治時代の日本もかかわってくる)が天然痘や麻疹などを持ち込んだのに、その後の人口変化の姿は大きく変わったものになっている。

クーニッツは、この違いは、ヨーロッパ人の進出がもたらした社会変化、特にそれまでの農業社会にどのような土地と労働の新しい形がもたらされたのかということによると主張している。NZやハワイでは、ヨーロッパ人は大規模な殖民を行い、原住民の土地を奪って労働力として雇用する、「入植資本主義」(settler capitalism) が展開された。一方で、サモアやトンガでは、大規模な植民は進まず、地域の経済と軍事支配の基地的な性格が強かったので、土地の収奪にはいたらず、資本主義のシステムの中に緊密に組み込まれはしなかった。それが、疾病のインパクトに影響を与えたというのだ。

私は、この地域の専門家ではないから、クーニッツの説明が正しいかどうかは分からない。しかし、疾病が進入したかどうかではなく、それが進入し伝播するときの、社会と地域の構造を調べている私にとっては、とても嬉しい問題設定だった。