アフリカの精神医学

昨日取り上げたヴォーンが、アフリカの精神医学を論じていたので、その章も読んでみる。 Curing Their Ills の第5章、”The Madman and the Medicine Men: Colonial Psychiatry and the Theory of Deculturation”, 100-128.

イギリスの植民地であったニヤサランド(ほぼ現在のマラウィにあたる地域)の司法精神医学のような、社会史・文化史のようなマテリアルも少し使っているけれども、議論の主体は、20世紀半ばごろのイギリス人の精神医学者・心理学者たちが、アフリカ人の精神についてどう理解したかを教えてくれるマテリアルを使っている。1935年にニヤサランドの二人の衛生官のシェリートワトソンという医者がアフリカ人の精神病患者などについて調査を行った報告や、1950年にThe African Mind という書物を出版したカロザース (J.C. Carothers)の思想や、それに対する心理学者や人類学者の批判などを分析している。

鍵になる概念は、「他者化の入れ子構造」のようなもので、イギリス人にとって、そもそもアフリカ人というものそのものが他者であったから、アフリカ人全体が他者化され、その精神は精神病理の言葉で語られていた。だから、その中で精神病になったアフリカ人たちを差異化するヴェクトルは弱かった。それどころか、精神病のアフリカ人を、ヨーロッパにひきつけて捉えるような理論すら構築されていた。それが文化喪失理論 (deculturation theory) で、ヨーロッパの文明と接触して現地の伝統文化を失ったものたちは、高い精神病の発症率を示すというものであった。この、「(えせ)ヨーロッパ化したアフリカ人は精神が不安定になり、伝統社会と習慣の中で生きているアフリカ人は、もともと病理的な精神を持っているが、そこに安住しているから精神は安定している」という説は、当時のイギリスのアフリカ支配の方針であった原住民の土着の社会構造・支配システム・文化を利用する「間接支配」とマッチしたものであった。

カロザースは、土着の社会・文化の中で生きている病理的だが安定しているアフリカ人は、「ロボトミーを施されたヨーロッパ人」に完璧に対応すると述べている。生まれながらにしてロボトミーを施され、前頭葉の働きを奪われている状態が、「正常な」アフリカ人であるという。これは、もちろん植民地医学の脈絡でも大切だが、ロボトミー研究の脈絡でも大切な洞察である。