『ドン・ジョヴァンニ』


今日は無駄話。


オペラは大体そうなのかもしれないけれども、この作品ほど解釈の幅があるものも少ないだろう。放蕩者の主人公、ドン・ジョヴァンニは「リベルタン」の英雄なのか、人間の愚かさの象徴なのか、演出や歌唱やアクセントのつけ方で、上演から受ける印象が大きく変わってくる。私が一番好きなのは、ミシェル・フーコーがたしか『性の歴史』の第一巻で書いている、そこに浮かび上がる性倒錯者の暗い横顔に自分の姿を重ね合わせることができる作品だという解釈で、それに一番近いのは、トマス・アレンが演じる心理的な深みがあるドン・ジョヴァンニである。

今回の新国立劇場の上演は、舞台をヴェネチアに設定していることからも伺えるように、カサノヴァを強く意識していて、主人公は景気が良くて気が強い放蕩者になっている。深みはないかもしれないけれども、これはこれで面白かった。なによりも良かったのは、ドンナ・アンナで、最初のアンサンブルからそのテクニックと表現力に驚嘆していて、幕間にプログラムで確認したら、しばらく前に新国立劇場で『椿姫』のタイトル・ロールを歌ったエレーナ・モシュクという若いルーマニアのソプラノだった。また、彼女の魅力と実力をひきだすようにというわけではないだろうが、私が聴いたことがない「折衷版」と呼ばれる版が使われていて、初めて聞くドンナ・アンナのコロラトゥーラのアリアがあって、これも素晴らしかった。 

若い日本人の男女の歌手が、それぞれマゼットとツェルリーナを歌っていた。ツェルリーナは、露骨にエロティックな歌がある若い娘の役で、中年男性には圧倒的な人気がある役だろう(笑)。この上演では、可憐で可愛い感じが前面に出ていて、実は、ちょっとものたりなかった。一幕の終わりのほうで、「ぶって、ぶって、愛しいマゼット」という、ふてくされた夫のマゼットをたらしこむアリア (Batti, batti, O bel Masetto) があるけれども、私が15年位前にみたコヴェント・ガーデンの演出では、自分のスカートを高くからげたツェルリーナが、マゼットが腰にしているベルトをはずし、そのベルトで自分のお尻を甘く叩くという、固唾を飲んで手に汗をにぎる演出だった(笑)

画像は公演の写真で一幕の冒頭。