『欲望の植物誌』

必要があって、マイケル・ポラン『欲望の植物誌-人をあやつる四つの植物』(東京:八坂書房、2003)を読む。

リンゴ、チューリップ、マリファナ、ジャガイモの四つの植物を取り上げて、「植物の視点から」人間の文化と歴史を描いた書物。「植物の視点から」というところがポイントである。人間と植物というと、食用でも観賞用でも、人間が栽培し、改良し、収穫なり色鮮やかな花なりを享受するというように、人間を主語にして両者の関係を捉える傾向がある。それを、植物を主人公にした視点から見ると、植物は美しさや甘さなどの色々な特性で人間を誘惑し、自分たちの種(ある特定の種)の遺伝子を増殖させるように、人間をして働かしめていると見ることができる。人間の文化の歴史を、植物が持つ特徴に誘惑され、その誘惑に基づいて産業と文化を大規模に変更してきた歴史と見ることができるというわけだ。それをくっきりと浮き彫りにしているのが、冒頭にかかげた四つの植物で、それぞれ、甘さ、美、陶酔、管理という人間の欲望につけこんで、社会の中にまさに根を下ろしてきた。そのありさまの文化史である。 

筆者は雑誌の編集者を経て物書きになったライターだから、アカデミックな厳密さよりも、よい意味での編集者的な博識と、生き生きとした洞察が持ち味で、久しぶりに読む傑作だった。私が特に気に入ったのは、リンゴの章とマリファナの章だった。リンゴの章は、ジョン・チャップマンという、リンゴの苗木を西部に植えて回った人物が主人公。チャップマンは、「アップルシード」とも呼ばれ、アメリカではとても有名な人物らしい。当時のオハイオの法律では、入植者が土地の所有権を手に入れるためには、リンゴかナシの果樹が少なくとも50本植わっていることという条件があったので、チャップマンが提供したリンゴの苗木は、アメリカが西部を所有することとまったく同じ意味を持っていた。そして、この種から育ったリンゴは、当時の旧世界で栽培されていたような甘い食用のものではなく、リンゴ酒の製造に使われていた。チャップマンは、アメリカ人たちが酒をつくることを可能にし、一日の疲れをいやし、人々の社交を盛り上げて、時には泥酔させること、日本語の言葉で言うハレの時間を持つことを可能にした男であった。ヨーロッパにとって、ブドウをもたらしたデュオニソスにあたる役割を、この男は果たしていた。(砂糖はぜいたく品であり、ミツバチがいないのでハチミツが取れない新世界では、リンゴのかすかな甘みが、天国の甘さと同じだったという議論もあった。)しかし、禁酒法時代に、人々の酒の最後の砦であったリンゴ酒にも禁酒の粛清の手が伸びると、リンゴ農家たちは、リンゴを食べるのは健康によいというように方向転換した。そのために、食用に適した甘いリンゴを挿し木で増やすようになり、かつての、突然変異を非常に起こしやすい種子を野放図にまいていたリンゴの園の時代は終わり、エリートの種をクローンしたものがモノカルチャーされる時代に入っていった。 

アメリカ人が「アップルパイ」に注ぐ情熱がちょっと分かった(笑)