ロンドンの薬種商




16・17世紀のロンドンの薬種商についての論文を読む。文献は、Wallis, Patrick, “Apothecaries and the Consumption and Retailing of Medicines in Early Modern England”, in Louise Hill Curth ed., From Physick to Pharmacology: Five Hundred Years of British Drug Retailing (Aldershot: Ashgate, 2006), 13-28. 著者は若手の実力者で、この論文でもその力の片鱗が伺える。

過去の人々がどのような薬を使ったのかという問題は、粘り強いリサーチと的確な想像力を必要とする問題である。この論文も、初期近代のロンドンの薬種商たち(供給者サイド)について、資料から確実に分かること、たとえば、ロンドンの薬種商はチープサイドからパウルトリーの商業地帯や、ウェストミンスターやストランドにかけての富裕なものが住んでいる地帯に密に分布していただとか、そういったことを記述しながら、それから薬の使用者サイドの問題にどう迫ることができるかというスタイルを取っている。この論者は、初期近代に薬を販売する方法が変わったことは確かだが、使用の量が大きくなったかどうかという問題については、慎重な態度を取っている。

この論文が強調することは、薬と信頼の問題である。この時代の薬というのは、もともと怪しい商品がたくさん流通している社会でも、特に注意しなければならないカテゴリーの商品であった。その質を保証することは専門家でも難しかったし、効能はおろか、生命が危険にさらされる可能性すらあるジャンルの商品であった。それゆえ、薬種商たちが、まず力を注いだのは、人々に商品への信頼を持たせることであった。

これは、いくつかの私が気づいていなかったポイントを示唆している。それは、人々の「信じやすさ」の問題である。こと昔の薬の問題になると、多くの歴史学者は過去の人々は、提供されていた治療法を本気で・無批判に信じたという前提で議論を進めることが多い。いくら、現代の自分たちが、お医者さんに出された薬や薬局で売っている薬を無批判に信じているからといって(あるいは信じていない?)、昔の顧客が、薬を飲むと脳が良くなるとかそういった宣伝を無批判に信じていたわけがない。それは、リスクがあることを「意識して」購入される商品であったと考えるほうが自然である。 この点を考えないと、過去の人々の受療行動のダイナミックスを見損なう。 

シェイクスピアの時代のロンドンで、薬種商といえば、有名な『ロミオとジュリエット』の場面がある。ジュリエットが死んだと誤解して、その後追い自殺をするためにロミオは毒薬を買おうとするが、その街では毒薬を売ることは死刑になる。しかし、貧乏な薬屋に目をつけて、この男なら禁制の毒薬を売るだろうとロミオが予想する場面である。

ぼろを着て、ゲジゲジ眉をしかめながら、薬草をつんでいた
頬はこけ落ち、鋭い貧苦に骨と皮ばかりにやつれていた
乏しい店先には、海亀の甲羅、剥製のワニ、その他異様な魚類の皮などがぶらさがり、
そして棚のあたりには空箱や青い瀬戸物類。

これは、やっぱり危ない商品の売り手としての薬種商象徴している。 最近のバイオ系の映画では、悪者といえば製薬会社だけれども(『バイオハザード』とか、そうなんでしょう?)、これも、関係あるのかも。 

箱や瀬戸物については分かる。 でも、ワニがよく分からない。 たぶん、何かの薬なのだろうけれども、なぜワニなんだろう? 

画像は、1625年の薬種商の店の復元と、18世紀の薬種商の店の版画。 やっぱりワニがある。これは、ロミオとジュリエットで有名になったから、意地になってワニとウミガメを展示したということもあるのかもしれないけれども。 

私の記憶にある、日本の薬屋さんといえば、やっぱり「サトチャン」というのかな、オレンジ色の象のマスコット。