ヨーロッパのパラケルスス主義

必要があって、何度も読んだトレヴァー=ローパーのパラケルスス主義論をもう一度読み直す。文献は、Trevor-Roper, Hugh, “The Paracelsian Movement”, in Renaissance Essays (London: Secker & Warburg,1985), 149-199. 

しばらく前に物故したオクスフォードの近代史の欽定教授のトレヴァー=ローパーほど不思議な魅力を持った歴史学者は少ないだろう。数々の歴史論争の立役者で、その麗筆が繰り出す核心を突く辛辣な批判は論敵に恐れられた。その一方で、子供でも見抜けるようなヒトラーの日記の贋作を本物だと認めてしまうという大ポカもやらかしている。記述はアカデミックというより、「エレガントで流麗」といったほうがふさわしい。

この論文は、パラケルスス主義のヨーロッパ全体への広がりをコンパクトに論じた論文としては、間違いなく指折りの傑作で、この数年か何回か読んでいるけれども、そのたびに新しい魅力を発見してしまう。トレヴァー=ローパーよりも当該の問題を専門的に深く知っている学者はたくさんいるだろうし、この論文よりも緻密な議論はあるだろう。しかし、この、なんというのかな・・・ダイナミックな歴史の過程を生き生きと、一言で的確に言い当てる能力というのかな・・・それは、英語圏では右に出るものはいないだろう。パラケルススの哲学とパラケルスス主義の歴史を、たった一文でまとめたこの文章は、すごいなあと思う。

Neoplatonist “theosophy”, messianic prophecy, chemical medicine – these are the three chief ingredients of Paracelsus’s philosophy, and the history of the movement is the history of their gradual separation, their periodic reunion.

ネオプラトニズム神智学、終末論的な予言、そして化学的な医学―これら三つがパラケルススの哲学の主要な構成要素であった。そして、パラケルスス主義の運動の歴史は、これらが次第に解体してゆき、断続的に再結合する歴史であった。)

たぶん、私の訳なんか入れると、かえって分かりにくくなるんだけど。 つい接続詞 and を入れたいところが二箇所あるけれども、どちらでも使っていないところが、文体の芸が細かい(笑)