ゾラ『獲物の分け前』

未読山の中から、エミール・ゾラ『獲物の分け前』を読む。中井敦子の翻訳でちくま文庫に収められている。

時代設定は1860年代で、オスマンによるパリの市街地改革が生み出した、不動産投機の熱狂を背景にしている。主人公は、不動産投機を繰り返して莫大な富を得ている成金の妻、ルネである。堅いブルジョワジー出身の彼女が、不動産バブルな富がもたらした金ぴかで豪奢で破廉恥なまでに洗練された享楽に落ち込み、すべての豪奢を知り尽くした末に、夫の先妻の息子であるマキシムとの近親相姦的な恋愛に溺れていく。このマキシムという若者が、なかなか印象に残るキャラクターで、金色の髪に女性的で華奢な体のアンドロジニーで、若いときから上流階級の淫靡な放蕩の限りをつくした遊び人。すべてにおいて受動的であり、悪事を決然と自分の意思でするわけではない。(義母のルネとの関係も、ルネが望んだ結果であった。)ルネの夫のサカール氏は、芸術家のような繊細な情熱を込めて不動産投機のいかさまを仕組む、金儲けに身と心を捧げた男であって、妻と息子の不義を知っても、深く怒るわけでもなく、妻の財産をまきあげることのほうに夢中になる人物として描かれている。

登場する社交界の名士たちは、パリの大改造がもたらしたバブルの中で、不正や買収や贈賄でその富を築いたものとその妻や縁者たちである。だから、まるで、パリという都市自身が、淫蕩で金に目がくらんだ欲望にもだえ、そのあくなき充足を求めてのたうちまわっているような印象を作り出す。これは、もちろんゾラの筆の力もあるのだろうけれども、翻訳も素晴らしかった。寡聞にしてお名前を存じ上げていなかった研究者だけれども、簡潔だが深い洞察をこめた解説といい、必要最小限でかつ詳細な訳注といい、学識の粋という表現がぴったりだった。同じことを何度も言うけれども、この学識がこめられた翻訳を、1300円の文庫で読むことができる文明国に住んでいる幸福をかみしめる。

解説でも指摘されていたけれども、重要な出来事は、すべてサカールの贅を尽くした館に作られた熱帯植物園で起きている。特に、ルネとマキシムの淫蕩な情事が最高潮に達するのは、熱帯植物から毒性の香りが立ち上り、その毒々しいまだらの葉がすれあう植物園の床に敷かれた黒いクマの毛皮の上だった。あまりにもわかりやすいオリエンタリズムだといわれればそれまでだけど、このあたりの描写は、固唾を呑むような迫力があった。