大恐慌の生理学

必要があって、戦間期のアメリカの生理学者が、生命現象と社会を有機体として相同的に捉えたことを論じた論文を読む。文献は、Cross, Stephen J. and William R. Albury, “Walter B. Cannon, L.J. Henderson, and the Organic Analogy”, Osiris, 2nd ser. 3(1987), 165-192. 著者の一人のオルベリーは、生命モデルと政治モデルの相同性や、生命・政治を語るときのメタファーの問題について、傑作といえる論文を何本か書いている実力者。

20世紀前半の生理学の発展は、生命体のそれぞれの組織・機能が相互に連関して調節するメカニズムを明らかにした。そのメカニズムを通じて安定した状態に保つ原理を、「ホメオスタシス」としてまとめたのがキャノンである。その生命観は、ヒポクラテスの「自然治癒力」概念のリバイバルにいたった。

それぞれの部分が共同して安定を保つ複雑な組織としての生命体は、社会を理解するためのメタファーや根本的な原理を当時のアメリカの社会科学者やインテリたちに与えた。当時のアメリカは大恐慌に襲われ、安定を保つためには社会をどのように設計すべきなのかという原理やヒントが模索されていた。キャノンは、1932年に、それまでの生理学の研究をまとめて一般向けに書いた Wisdom of the Body という書物を出版し、その最後に「エピローグ」として、生命の原理の理解が、社会を理解するヴィジョンにどのように貢献しうるかを示唆したが、そのきっかけは、1929年にはじまるいわゆる大恐慌に襲われたアメリカ社会をどのように組織しなおすのかということであった。キャノンの Wisdom は、身体を論じる際にも社会とのアナロジーを多く使い、その「エピローグ」においても、生命が危機にさらされたときに、その組織を調節する規制的な原理を備えているものであるという形で、レッセ=フェールによる安定よりも、調節・規制機構の重要性を強調するものであった。

キャノンは、さらにふみこんで、人間の身体が自己を安定させる合理的なメカニズムを備えているのは「なぜ」なのかということを問うた。このメカニズムは、人間を外界の変動に直接左右されるという制限から自由にするが、それは「何のための」自由なのかという問いである。キャノンによれば、これは、高次精神機能を自己の生命の維持という仕事から解放し、他の用途に用いるためであった。すなわち、人間は、有機体として自己を維持するための合理性と、知的な存在としての理性という、二種類の合理性を備えているのである。前者の合理性、つまり個体の生物として生きるための合理性に、いちいち「頭を使う」必要はない。すなわち、私たちは個体が生きるためではなく、それ以上のことをするために、我々の知性を使うようになっているのである。人間が知性を持っているのは、個体を維持するためではなく、社会的な動物になるためだというのだ。

・・・なんという美しくも高邁な理論なのだろう。正しいかどうかは知らないけれども(笑)

この論文は、ここに要約した以外にも広がりがある議論がたくさんあって、目下の仕事に直結する大きなインスピレーションを与えてくれただけではなく、大学院一年目くらいの学生に必ず読ませたいテキストだし、学部向けの授業でも、上手に説明すれば一回分の授業をするにふさわしい深みを持った素晴らしい議論である。この傑作を、これまで知らなかった不明を深く恥じる。