社会科学と生理学のメタファー

必要があって、ファシズム期イタリアの社会科学における生理学的な有機体の比喩の利用に関する書物の一章を読む。文献は、Horn, David G., Social Bodies: Science, Reproduction, and Italian Modernity (Berkeley: University of California Press, 1994).

19世紀の後半から20世紀のはじめにかけて、現在「社会科学」として分類されている諸科学が学問の形をとりはじめた。有名なのは社会学であるが、人口学や教育学などもそうだろう。これらの社会科学的な諸学の形成と相俟って、その対象としての「社会的なるもの」が作られた。科学的に知るべき対象、そして技術的に介入するべき対象としての「社会的なもの」である。例えば、出生率を上げるにはどうするか、乳児死亡率を下げるにはどうするか、識字率を上げるにはどうするか、という問題は、新生の社会諸科学の中では、「社会的なもの」への合理的な介入のメカニズムの設計として語られた。

この「社会的なもの」の理解において重要であったのは、当時の生理学が明らかにしていた有機体のメカニズムであった。繰り返し用いられた生命体との比喩を通じて、「社会的なもの」という社会科学の基礎概念が形成されたと言っても良い。特に、ファシズムの社会科学は、国家全体が個人に優先することを強調したので、生命体の部分よりも生命全体が重要であるという、当時のホリスティックな生理学になぞらえることは好都合であった。リベラルな社会科学においては、むしろ細胞などの生命の最小単位が、「個人」にたとえられて、重視されるのと対照的である。このような生理学の比喩を通じて、当時の社会科学は、もともと社会科学のパラダイムの中で生じた概念なり具体策なりに、自然と科学の権威を持たせたのである。