初期近代の畸形怪物出生


必要があって、障害の社会史の論文集を眺めていたら、おもわず引き込まれて読んだ傑作があった。文献は、Stagg, Kevin, “Representing Physical Difference: the Materiality of the Monstrous”, in David M. Turner and Kevin Stagg eds., Social Histories of disability and Deformity (London: Routledge, 2006), 19-38.

キャサリン・パークとロレーヌ・ダストンの優れた論文以来、宗教改革とそれに続く時代のヨーロッパで、「畸形怪物出生」についての言説が流布したことは広く知られている。彗星や自然災害が、罪を犯した社会への神の怒りを予兆したり表現したりするものだと言われていたように、当時の言葉で畸形怪物出生 (monstrous birth) と言われていた現象は、同じように神の怒りを表しているとされ、宗教改革側も反宗教改革側も、そのような「ニュース」を取り上げて、宗教闘争の中で自分たちの立場にひきつけた解釈をパンフレットの形で流布させていた。私は、学生のときにパークたちの論文を読んで以来、この主題の研究はまったく追っていなかったが、このテーマが、近年の障害学・障害の歴史学の中で、さらに研究が分厚くなっただけでなく、理論的な新しい洗練と展開を経て、野心的な文化理論の中に位置づけられているのが実感できた。

畸形怪物(現在の人権意識に鑑みると不適切な言い方ですが、当時の歴史的な用語を使わせていただきます)の出生から未来の出来事を占うのは「テラトスコピー」と呼ばれ、もともとは古代バビロニアに起源を持ち、古代ローマを経て近代のヨーロッパに伝えられた。16・17世紀のイングランドにおいて、この畸形怪物の出生は、書物やパンフレットで報告され、その現象から、道徳上のコメントや、政治・宗教的な批判を引き出すための記号として機能していた。例えば、頭が二つある畸形が生まれたときには、王権と議会が争っている「二頭政治」の混乱がこの畸形をもたらしたと書かれ、首の周りに余分な皮膚がある畸形が生まれたときには、当時流行していた華美な「ひだえり」に象徴される国民の贅沢好きのせいにされた。このように、ある特定の畸形怪物出産に着目し、歴史上の似たような現象と比べ、それを共同体の罪の産物とする結論を引き出すというのが当時の一般的なパターンであった。その畸形を産んだ親のせいにすることが中心になるのは、1660年代以降、「妊婦の想像力」という新しい概念で説明することが主流になってからである。母親が妊娠中に働かせた想像力が子供に影響を与えて畸形怪物ができるという説明は、畸形出生の責任は母親にあるとして、畸形という現象の解釈を、共同体から親へと限定的なものにしたのである。これは、David Mitchell という学者が言うところの、近代初頭の象徴的な障害解釈というモデルが妥当していることを示している。すなわち、現在のように、障害のスティグマや身体的な要求を社会的に誘導しようというのでなく、個々の障害を、世界・宇宙の状態に関する注釈を加えるための象徴的な記録として障害を扱うということになる。 

画像はアンブロワーズ・パレから。