デュラス『北の愛人』

マルグリット・デュラスには、フランス領インドシナで過ごした少女時代のことを自伝的に綴った作品『愛人』がある。今から15年くらい前に映画化もされて、裸の少女の後姿の写真を使ったポスターがロンドンの街角中に貼られていて、目のやり場に困った記憶がある。この小説『北の愛人』は、同じ人物が出てくる同じ主題を、もう一度語りなおしたもの。デュラスは『愛人』の映画化にあまり満足していなかったらしく、映画にするとしたらどう撮るかという指示が入っている、面白いテキストで、河出文庫に収められている。

デュラスの作品自体の愛好者には申し訳ないけれども、私が『愛人』『北の愛人』と二冊も読んでいる理由は、熱帯に移住したヨーロッパ人の経験世界を知りたいという、不純な動機で、おもにそういう箇所を拾って読んだ。とても面白い。デュラスの一家はインドシナの海岸近くで農地経営をしていたが、海水の浸入による塩害のために失敗していたので、海と陸を分離することが、デュラスのインドシナのイメージの重要な部分を作り出している。たとえば、コーチシナの水田の大海原には、子供たちが引く二輪荷車のためのまっすぐな白い道が何本もついているという描写のあとで、この「絹を思わせる」メコン川のデルタを、「海からほとんど解放されていない、熱帯のフランドル」と読んでいる。そして、「インドシナの土地は海と同じ。地球上に生命が誕生するよりまえに、何百年ものあいだそうだったように、農民たちは原初の人間と同じ仕事のやり方をしていた。」というくだりも、塩分を含んだ海を、陸から隔てることをめぐるイメージである。そういわれてみれば、イタロ・カルヴィーノにも、海水から作り出された生命体が、海水の中から出て陸に上がることをめぐる記述があった。あたりまえのことだけれども、進化論と地質学が、文学というよりも、人間の想像力に大きな影響を与えている。