人妻の衛生学(笑)

同じく、林髞の評論集を読む。文献は、林髞『科学論策』(東京:厚生閣、1940)

文部省の科学行政、中国進出に関する意見、科学戦と日本精神、優生学と断種など、時局にかなった話題に、生理学者としての知見をちりばめながら書いている。どれも面白くて、彼自身の意見をはっきりと述べているから、歴史研究者としては重宝な素材だけれども、売れっ子になったせいか、鋭い洞察はあっても、それが発展させられていないものが多い。林が売れっ子になっていたことは、冒頭で述べられていることからも分かる。

「著者が医学の出身であるとの故を以って、多くの雑誌編集者が、いざといえば「処女の生理」だとか「人妻の衛生」だとか「女のこころと女のすがた」だとか言う文章を求めてくるには閉口した。今でも、毎月、この種の題目をひっさげて著者を口説き落とそうとしている編集者の数は十指を屈すべく、その人たちがいつかは著者を口説き落とせると思っているのは苦笑を禁じえない。
 そういうものを書く医学博士は従来から幾人もいるから、著者は却ってこれ等の要求を退け、著者の自然のままの傾向を辿った。」

この文章が示唆しているように、当時の日本では女性をめぐる議論がまきおこり、医者たちも発言していた。(ついでに言うと、医者たちがマスコミによってこの議論にひきずりこまれたという構図を、林の文章から見てとることができる。)林も、さすがに「人妻の衛生学」は書いていないけれども(笑)、女性と医学の問題についてはたくさん書いている。ある対談で「現在の日本の女医は看護婦に毛が生えた程度のものだ」と発言して、女医たちから抗議の手紙が殺到したことがあるそうだ。今の感覚で言えばブログが炎上したというところだろう。その抗議に対して、「それは事実だから取り消すつもりはない」と平然と答え、女医たちから「その通りです!真実を語ってくださってありがとうございます!それから脱するように努力いたします!」という感謝の手紙が一通もなかったといってうそぶいているあたりは、まあ、仕方がない。たしかに当時の医学部の大学教授に女性は少なかっただろうけれども、当時の女医の水準は本当に低かったのか、調べる方法はあるのかな。 それよりも、従来開業だとか、試験合格だとか、水準が低い(としか考えられない)医者たちがうじゃうじゃいる状況だったから、別のファクターのほうが効いてしまうだろうけれども。 

この女性と女医の問題とも関連することだろうけれども、満州に医者が足りないということで、医者をたくさん作らなければならない、それについては、現在の男の歯医者に2年間さらに学校に通わせて医者にする道を開けと言っていて、そこで、「女子は女医たるよりも歯科医師として、さらにその本来の適格性を発揚することができるのではないかとすら思われる」という、ちょっと面白いことを言っている。女性は手先が器用だから歯医者に向いているというのだろうか。それとも、歯医者だと、勇気と豪胆が試される、患者の生命がかかった大手術をしなくていいというのかな。

現在は、歯科医師よりも、医師のほうが女性の割合が高いのかと思っていたのだけれども、、ちょっと調べてみたら、実は女性の歯医者さんのほうが少し割合が高い。2006年の数字で、医師が17.2%, 歯科医師が19.4% だった。 いや、女性の歯医者さんにお世話になったことがないという、それだけの理由しかない偏見だったんですけれども。