モダニズムの生理学

もうひとつ、林髞の評論集を読む。文献は、林髞『思想と生理』(京都:人文書院、1936)。

これは、これまで取り上げたものの中では一番読み応えがある評論が含まれている。特に、冒頭におかれた「思想としての条件反射学」(初出は昭和10年の『改造』とある)と、三番目の「モダニズム考察―生理的な余りに生理的な」(初出は昭和9年の『中央公論』)は、ソヴィエトの思い出から説き起こして、生理学者が社会をどう見るかということをよく教えてくれる。前者は、パブロフの逸話なども含んでいて、これが意外に貴重かもしれない。パブロフが犬に条件反射を確立したあとでそれを混乱させて「神経症」にした実験を行ったときに、神経症の犬を前にして、このような神経症的な状況が、現在のソ連の社会の状況そのものであると学生たちに述べ、学生の中の共産党員がそれに反駁しようとするというエピソードである。留学中の林は、これにいたく感銘を受けたらしい。彼ののちの社会の生理学的解釈というのも、もしかしたら、パブロフ譲りなのかな。

後者は、日本のモダニズムを論じたものである。ダンスホールにおける上流婦人の乱行、麻雀への知識人の耽溺など、当時話題となっていた現象が取り上げられている。これらの現象はしばしば不道徳のしるしであると非難されるが、林はその見解に与さない。日本のモダニズムの特徴は、「自分が新しいものに転化しようとする憧憬である」と林は言う。そして、その憧憬は、生理的な、上向きの力である。同じ生理的な力であるにしても、フランスの世紀末のデカダンはその「下向きの力」の表出であるのに対して、日本のモダニズムは、民族の繁殖力が盛大であることの表出であるという。ダンスホールや麻雀そのものが向上の精神ではないが、これらは、民族が進歩して新しいものをとらえようという向上の力の結果なのである。