必要があって、熱帯医学の周辺の領域の研究を集めた論文集を読む。文献は、Arnold, David, ed., Warm Climates and Western Medicine (Rodopi: Amsterdam, 1996)
「熱帯医学」という学問領域は、パトリック・マンソンとともに1900年くらいに始まるということになっていて、そのあたり以降についての研究は沢山ある。しかし、それ以前にももちろん熱帯地方におけるヨーロッパ医学のプレゼンスというのは、色々な文脈においてあるのは当然である。この論文集は、「マンソン以前」ということを共通点にして、いろいろな国と地域の「熱帯と西洋医学」にまつわる論文を漠然と集めたものである。こういう焦点がない論文集というのは、うまく行かないといわれているけれども、これに集められている論文は、有名な実力者が書いた水準が高いもの、あまり知られていないけれども、テーマを上手に選んでとても役に立つ論文が勢ぞろいで、2003年には、学術的な論文集にはめずらしく第二版が出ている。
オランダ人の研究者が書いている、オランダの東インド会社 (VOC) に雇われていた医者(多くの外科医+少しの内科医)の研究が、ちょっと新鮮だった。大きな組織だから、沢山の医者を雇っていて、全体で総勢で250-300人くらいいる体制だったという。このうち100人はオランダの拠点であるインドネシアにいて、残りの150-200人が、ペルシア、インド、スリランカ、東南アジア諸国、台湾、日本(長崎)などの、東インド会社の居留地で仕事をしていた。この中で、シーボルトを筆頭に、日本にきた医師だけが突出して有名なのは、ちょっと不思議である。これは、日本人の研究者が蘭学を教えてくれた医者たちを盛んに研究したということもあるのかもしれないけれども、必ずしもそれだけではないらしい。日本を紹介してヨーロッパで有名になったシーボルトやテュンベリーにあたるほど有名な、VOCの医者というのがいないらしい。(日本は知的野心を持つ好学の士を引き寄せたのだろうか?)
もう一人、よく分かっている医者としては、17世紀にタイの王朝に使えたブロッケブールド(Brockebourde)なる医者がいた。彼は王の侍医となり、現地の女性と結婚して生まれた息子をまた王家の侍医として、さらにはその次の代も宮廷医となったという。
これは、日本にきた出島のオランダ商館の医者たちにはありえなかったキャリア・パスである。