未読山の中から、人間の突然変異についての書物を読む。文献は、Leroi, Armand Marie, Mutants: on Genetic Variety and the Human Body (London: Penguin Books, 2003). 著者は一流の生物学者で、なおかつ生物学の歴史や文化について豊富な知識と的確な洞察を持っている書き手で、イギリスの書評誌などで活躍している。この書物は、それまで学術論文ばかり書いていた著者にとっては最初の一般向けの書物デビューで、いくつかの学芸賞をとった傑作。『ヒトの変異-人体の遺伝的多様性について』というタイトルでみすず書房から翻訳もされていて、アマゾンの「カスマーレヴュー」には絶賛が並んでいる。
話をフランシス・ベーコンから説き起こしている。ベーコンは、怪物や畸形といった「自然の錯誤」や変異を研究するのは、いったんその変異が研究され、その変異が起きた理由が分かると、自然が偶然によって到達した点にまで、人為の技術によって自然を導くことができるからだと書いている。怪物的なものは自然の法則を明らかにする力を持っており、その法則が分かれば、我々が望むように自然を再構成できる。これをヴィジョンと呼ぶか、欲望に基づく直感と呼ぶかはよく分からないけれども、近代以降の権力者や科学者は、ここでベーコンが明示している直感にしたがって、畸形や怪物と呼ばれたものを収集してきた。その収集の背後には不純な動機もあるし、優生学的な恐怖を煽るのに使われたことも事実である。しかし、これらの「突然変異」あるいは人間の「多形態性」は、人間がとりうるさまざまな形の「変動範囲」(スペクトラム)を示している。それなら、この「多形態的な」人間、変異した人間とは何者なのだろうか?彼らを「理想や基準から外れたもの」と考えることは、あたっていない。なぜなら、「理想のゲノム」「標準的なゲノム」など、実在しないからである。ヒトゲノムの99.9%は個人の間で同じであるが、多くの個人も何かしらの変異を持っている。その変異の多くは明確な形をとって現れはしない。現れるものの中には、ある遺伝子の「意味を奪う」働きを持つものが多く、さらにその中には、生命を脅かしたり、我々に嫌悪感を感じさせたり、ショックを与えたりするものもある。その意味で、我々はすべて「ミュータント」なのであり、より大きく、重大な意味を持つ仕方で、ミュータントである個人も存在するのだ。
具体的な話は、歴史的な事例については、医学史や科学史の研究者の間では比較的よく知られているものが多いが、それらから自然科学研究にとって重要な意味を析出する手際は鮮やか。障害の医学史のようなセミナーのテキストに使ってもいい。エピソード満載だが、冒頭に出てくるいわゆるシャム双生児の話で、1829年にパリで死んで盛大に解剖されたイタリア人のシャム双生児の姉妹、リタとクリスティナの話で、この解剖を批判した小説家がいて、彼女たちを素材にして小説を書こうとしたそうである。この小説は結局完成しなかったが、構想のメモが残っているそうだ。その、Jule Janin という小説家は、現実とはだいぶ違った仕方で舞台設定をしていて、リタとクリスティナを富裕な家に生まれた双子の姉妹で、17歳まで成長したことにしている。(実際は、彼女らの両親は貧しいイタリア人で、二歳にならない畸形の子供たちを見世物にするためにパリに来たが、当局の禁止にあって見世物に出来なかった)このシャム双生児の片方は健康で明るい性格でブロンド、もう片方は弱く暗い影がさすブルネットという設定になっている。そこに、その二人のシャム双生児のうち、どちらか一人を恋する若い男が現れた。(もちろん彼が恋したのはクリスティナである。)映画のPR風にいうと、「一人の男、二人の女、そして彼女たちの心臓は一つ」というアイデアだったという。
画像は、16世紀の「驚異の書」から。二通りのシャム双生児の姉妹。