八甲田山雪中行軍

必要があって、八甲田山雪中行軍に関する論文を読みなおす。文献は、松木明知「雪中行軍遭難事件の真相」で、松木明・松木明知『津軽の文化誌』(弘前:津軽書房、2007)に採録されている。筆者はもと弘前大学医学部の先生で、青森や北海道の日本の医学史研究の実力者。

1902年の1月に、青森県の八甲田山で雪中行軍の訓練をしていた陸軍の部隊210名が猛吹雪の中で遭難して、そのうち199名が死亡するという事件が起きた。日本はもちろん、世界の山岳史においても有数の最大の惨劇だといわれていて、新田次郎の小説や高倉健の映画で有名である。(私はどちらも読んでいない・観ていないけれども。)

この事件をめぐって、この部隊の最高責任者である山口少佐の死因に関して論争がある。山口少佐が八甲田山の山中で凍死したのなら問題はなかったけれども、意識がある状態で救助されてから、病院で息を引き取っている。この事実の「すきま」を想像力を使って上手に埋めて、新田次郎の小説と、それが依拠した史書は、山口少佐が責任を感じてピストル自殺したという説を展開した。松木は、山口少佐の指は凍傷で使い物にならなかったからピストルの引き金を引けなかったという事実に基づい、ピストル自殺説を否定する。 ここまでは堅実だが、それから松木は自殺説よりもさらに大規模な事件があったと主張する。 スキャンダルを恐れた陸軍大臣が、山口少佐に責任をとらせてクロロホルムで殺害し、死人の口封じと、事件の収拾をはかったというのだ。ピストル自殺説もクロロホルム暗殺説も、どちらも可能性の一つであることはもちろんである。両者を交差的に入れ替えて、クロロホルムで自殺したという可能性もあるが(笑)、松木は検討していない。 

ピストル自殺から、クロロホルム暗殺説になって、歴史学者が「証明」しなければならないことは劇的に増えた。ピストル自殺説なら、「処理」しなければならない問題は、問題は、馬鹿でかい音がして、きっとすごく派手な傷を残すピストルだけで済む。クロロホルムになると、陸軍のお偉いさんの首謀者と実行犯が「極秘裏に」行った陰謀が話しのコアになるから、ほぼ原理的に証明できない話になる。