中世イスラム社会の狂人たち

必要があって、中世イスラム社会の狂気の歴史を読みなおす。文献は、Dols, Michael, Majnūn: the Madman in Medieval Islamic Society, ed. by Diana E. Immisch (Oxford: Clarendon Press, 1992). 著者は、非常に優れたイスラム医学史の研究者だったが、この書物を仕上げている直前に病に倒れ、書物の形にまで最後に仕上げる作業は、助手の手で行われたという、痛々しいエピソードがついている。

医学テキストはもとより、法、宗教、文学など多様な領域から精神病についての事実を拾い、二次文献を集め、それらを丹念に検討して解釈して一冊の大きな本にするという仕事である。院生同士のセミナーの報告で輝くような鋭利さはないけれども、後に続く研究者が進むべき方向、読むべき資料のジャンルなどを明確に指し示した地図の役割を果たしている。 このような地図を作ることが、どんなに後に続く研究者を利するか、痛ましい最期が刻まれた書物だけに、胸を打たれる。 

私がこの本を開くときには、いつも精神病院を論じた章を読んでいて、実は他の章は腰を据えて読んだことがない。イスラム社会は、最初に精神「病院」を作った社会として知られている。ここでいう精神病院というのは、精神病患者を医者が取り扱う監禁・収容型の施設という意味で言っている。東ローマ帝国ビザンチン教会の影響下で作られた、病人を収容する「ゼノドケイオン」に模して、初期イスラム社会には「ビマリスタン」が創られたが、紀元8世紀末にシリアのある都市に創られたものは、身体において、または、<精神において>病気であるものに癒しを授ける場所であると説明されていて、精神病患者がここに収容されていたことが推察される。それ以外にも、9世紀のバグダッドやカイロについて述べた記事など、イスラム社会における精神病院の存在は、例えばヨーロッパに較べて圧倒的に早い。

ちなみに、タイトルになっているMajnūnというのは、恋をして狂人となるというロマンティックな説話の主人公の名前。