京都の専門医たち

必要があって、京都の医者の歴史の本を読み直す。文献は、森谷尅久『京医師の歴史 日本医学の源流』(東京:講談社現代新書、1978)

著者は京都市史編纂所の所員で、京都の都市の様子を生き生きとつたえるような資料を次々と取り出して見せてくれる楽しさがある本で、とてもいい。

確かめたかったところは、江戸時代の京都の医療の状況で、著者がやや不注意に「専門分化」と読んでいる状況を記述したところ。1682年に『京羽二重』という書物が出版された。この書物は、京都の総合案内書のようなもので、その中の「諸師諸芸」という名人ランキング集があり、その冒頭に置かれたのが京都の名医リストである。当時京都で開業していた名医がリストアップされている。面白いのは、これが、諸科に分かれていることである。医師・小児・産前産後・目・口中・外科・鍼(同書は「針」)という分類になっている。この数は、きっと、当時の市場で提供されていた医療サービス、または疾病などに基づく需要に対応すると、たぶん考えていい。

これをクイズにしてしまいましょうか(笑) この17世紀の京都の名医ランキングの中で、一番数が多いのはもちろん内科一般を扱う「医師」で、これが20人います。 さて、小児科などは、それぞれ何人リストアップされているでしょうか? 一覧表を作ると、次のように鳴ります。

小児 A
産前産後 A
目医者 B
口中 C
外科 C
針 D

A, B, C, D には、それぞれ数字が入ります。 小児科の医者も前産後科の医者も名医リストにはいっている医者の数はA人で同じです。 A, B, C, D には、次の数字のうち、どれか一つが入ります。 

1, 4, 5, 8.

A-D には、それぞれどの数字が入るでしょうか?

これを「専門分化」とよぶのが不注意だということであるけれども、この分類の原型は、著者も書いているように、律令時代にある、内科、外科(皮膚を含む)、子供、女性、耳目口歯という、律令時代の医学生の分類とほとんど変わらない。