『もののけ』

必要があって、「もののけ」についての書物を読む。文献は、山内昶『もののけ』I・II(東京:法政大学出版局、2004)。未開社会から現代まで、日本・中国・ヨーロッパの各国を自由自在に飛び回って博引傍証で議論を進めている。これは、一つ間違うと読むに耐えないものになる危険なスタイルだけれども、著者の本業は(たぶん)文学系・哲学系で、テキストを丁寧に読んで原理的な深みまで降りて分析する腕が確かだから、とても面白かった。今の「知の業界」の流行とはちょっと違うのだろうけれども、傑出した出来の書物だと思う。本来なら、全部読みたかったけれども、序論と日本のもののけの部分だけ読んだ。

古代の日本語では、神でも人でもない怪しいものを「モノ」といい、これに適合する漢字はなかった。万葉集では「鬼」をほとんどモノと読んでいた。馬場あき子によれば、「もの」は、明瞭な形を伴わない感覚的な霊の世界の呼び名で、「おに」は、目には見えなくても実在感があり、実体の感じられる対象であった。前者は「もののけ」の「もの」になり、ものおそろしい、もの悲しい、ものすごい、といった深層心理に眠る原始的な不安や畏怖感を表現する言葉となり、一方で、「おに」は、我々がいまイメージする角が生えた「鬼」への助走を始める。

「け」は、「怪」であり「気」である。「気」は「いき」でもあり、「気」「息」によって人が病気になるという概念も古い。日本霊異記には、反乱を起こした長屋王が敗れて自殺したあと、その死体を焼き砕いて川や海にばらまいたが、骨が土佐の国に流れ着き、「親王の気(け)によりて、国の百姓みな死に亡すべし」という記述がある。謀反者の骨から出た「気」が疫病のもとになったのである。菅原道真などの怨霊や、藤原道長を苦しめたもののけまで、あと一歩である(笑)

また、日本書紀の景行記によれば、信濃坂を越える人は神の気(いき)によって病気に罹ることが多く、この峠を越えるものはニンニクを噛んで牛馬や人に塗ったという。

これを投稿すると、「似たような記事」のところには、『もののけ姫』についての記事が並ぶんだろうな(笑) 

・・・と思ったら、そうでもありませんでした。『もののけ姫』は独立のカテゴリーなのかな。