精神病院の秩序の歴史

新着雑誌にとても参考になる論文が掲載されていた。文献は、Meier, Marietta, “Creating Order: a Qualitative Analysis of Psychiatric Practice at the Swiss Mental Institutions of Burghoelzli and Rheinau between 1870 and 1970”. History of Psychiatry, 20(2009), 139-162.

論文は、それぞれ1867年、1870年に作られたスイスの公立精神病院であるライナウ (Rheinau) とブルクヘルツリィ (Burghoelzli) の、合わせて10万件近い患者記録から、合計1300人分の患者記録をサンプリングで抜き出した研究。この手法自体は、精神医学史研究の王道で、多くの歴史学者が使っている。その上で、たとえば患者がどんな地域から来たか、どんな職業・階級の出身かということを研究することもできるし、もっと緻密にカルテの中身を読み込んで、患者が受けた治療を数量的に調べることもできる。この論文の面白い点は、治療と社会の関係を読もうとしている点である。それを読むときの指針となる理論的な枠組みは、フーコーと、私が寡聞にして知らなかった、ドイツの Bernard Waldenfels という哲学者である。

「治療」という行為は、それを導く基準は何か、どんな秩序を取り戻そうとしているのかという問いに対する答えを、常に含んでいる。この問いは、医学の要求が、社会や日常生活、そして究極的には哲学の要求と衝突する可能性をもつ、治療の「脆弱性」を持つ領域を表現している。その秩序を考えるときに、社会のあり方を考察しなければならない。伝統社会の秩序は共通のシンボルに基づいているが、現代の多元的な社会は、互いに競合する可能性がある一群の異質なシンボルに基づいている。

精神医療の空間―当時の主流であった入院・収容型の精神病院においては、秩序が医療を通じて作り出される。しかし、精神医学書の理論的な部分は、実際の精神医療においては、「転換された」(コンバートされた)形で現れる。厳密な言い方をすれば、理論的な知識は、そのままの姿では、精神病院での生活には反映されない。 

つまりこの論文は、精神病院における治療が、「社会」と接触する中で転換されるありさまを研究することになる。この視点自体は珍しくはないが、それを統計的に処理しようというのが面白い。この転換は、個々のケースの中身を質的に分析することで明らかにされることが多い。そうすると、そのケースがどの程度の割合で発生していて、精神医療全体の形にどの程度影響を与えているのかということが見えにくくなる。

基本は、治療の目的を、治療や規律など、いくつかの類型に分類して、それぞれの類型の件数を数えるということになる。発想としては面白いし、この論文自体ではちょっと竜頭蛇尾の印象を持つけれども、この方法は「使える」と思う。全ての治療行為の42%は純粋な治療、32%は治療と規律が混ざっていて、25%は純粋な規律だそうだ。

ある治療が、規律の目的で行われるというと、やはり社会階層とジェンダーのカテゴリーが気になるけれども、階層の差よりもジェンダーの差のほうがはるかに大きいことを、計量的に証明したのは、とても面白い。