中国医学と出版

同じ論文集から、北宋・南宋の時代の中国医学のテキストの出版についての論文を読む。文献は、Kosoto, Hiroshi, “Volumes of Knowledge: Observations on Song-Period Printed Medical Text”,in Andrew Edmund Goble, Kenneth R. Robinson, and Haruko Wakabayashi eds., Tools of Culture: Japan’s Cultural, Intellectual, Medical, and Technological Contacts in East Asia, 1000-1500s (Ann Arbor, Michigan: Association for Asian Studies, 2009), 211-230. 著者は、漢方医学の典籍のすぐれた文献学者で、『日本漢方典籍辞典』(大修館)には、よくお世話になっている。

話はシンプルだけれども重要なポイントをついていて、しかもそれが、博識で裏打ちされている論文。きっと、細かいところで玄人受けする論文なんだろうな。私はこの問題についてはずぶの素人だから、そこまで分からないけれども。

そのポイントというのは、北宋・南宋の時代に、木版による印刷という新しいテクノロジーが現れて、医学書が持つ意味が変わったということである。それまでは手で書写して巻物のようなものに書いていた医学書を印刷できるようになったことで、その正確さを信頼できるテキストが大部数発行できるようになり、中国医学が地理的に、そして社会的に、より広範に広がって、東アジア社会のスタンダードな医学理論になることができるようになったということ。このテクノロジーによって、そのオーセンティシティを保障された「古典」が古典として成立したこと。そして、北宋の時代においては、出版は国家が行っていたが、南宋の時代には、私的な出版が行われるようになったということである。私的な出版の部分は、私はまったく気がついていなくて、足をすくわれるところだった。

中国のテキストの書写というと、これはフィクションだけれども、私は井上靖の『天平の甍』に出てくる留学生を思い出してしまう。唐に留学した僧が、仏教の奥義を理解するという青雲の志を断念して、自分には理解できなくてもお経さえ持ち帰れば、自分よりも頭がいい誰かが理解するだろうと、ただひたすらお経を書写して日本に持ち帰ることだけに打ち込んでいた留学生を登場させていた。(私も含めて、留学経験がある多くの日本人は、彼が心の中の情念がわかると思う。)そして、彼が数十年書写し続けた万巻の経典を携えて、ついに日本に帰ることになったときに、船が嵐にあって、そのお経はすべて海に呑まれてしまう、凄絶なシーンが描かれている。鎌倉時代に日本から中国に留学した学生にとっては、書写しなくても出版されたいたわけで、その出版されたお経やら医学書やらをほいほいと持ち帰って、最新のテキストをインコーポレイトして日本で矢継ぎ早に大著を出版してスター学者になった梶原先生を、『天平の甍』の留学生が見たら、なんと思うのかな。あ、これは、純粋な無駄話で、梶原性全へのやっかみでもなんでもないですよ(笑)