新潟の智能テスト

必要があって、昭和3年に新潟の小学校で実施された智能テストの結果を分析した論文を読む。式場隆三郎新潟市小学児童の智能基準並に劣等児の精神病学的観察」『北陸医学会雑誌』44(1929), no.285, 167-311. 著者は二笑亭の取材、ゴッホの病蹟、山下清の紹介など、非常にユニークな活動をした精神科医で、優れた伝記研究を待っている。

この論文は、昭和3年に新潟県から小学児童の個性調査を嘱託され、県の教育課と協力しながら行った知能検査。1917年にアメリカの陸軍で行われた知能検査を日本風にアレンジしたものが用いられる。この日本版知能検査は、1922年に東京の山の手方面の比較的優秀な小学校を選んで実施された。式場は、この検査を実施した渡辺徹の許可を得て、まったく同じ形式・内容で、5つの小学校(尋常小学校、高等小学校)の児童4407名を対象に行った。新潟の土着の人の児童を多く含む小学校を選んだという。ちなみに、大畑、豊照、礎、沼垂、二葉だという。智能検査の結果と劣等児の結果を論じているが、統計的な分析としては、知能検査と学業成績のあいだに強い相関関係があることを計算したのが唯一の成果である。経済状態、親の職業、親の学歴、兄弟の数、父母の疾患、性格などのデータも取っているけれども、これらは、単純に集計した一覧表を作るのがせいいっぱい。今なら表計算やデータベースのソフトがあるけれども、当時は統計を処理する技術がなかったからだろう。

色々面白いことがあったけれども、一つだけ。どの年齢階級においても、男子のほうが女子よりも智能が勝っていたというのは、ちょっと驚きだった。小学校のとき、特に高学年においては、女の子のほうが頭がいいというのは、私たちの世代にとっては、当然のことだったんだけど、この時期は、女子の第二次性徴も遅かったせいだろうか?(初潮年齢を計ると、東京の女学校の学生で、14歳半くらいである) それとも、戦前の女の子は小さいときから頭が悪くなることを奨励されていたのかな。