在村の蘭学

必要があって、在村の蘭方医についての古典的な研究書を読む。文献は、田崎哲郎『在村の蘭学』(東京:名著出版、1985)優れた日本史の地方史に根ざした研究者らしい緻密なスカラーシップで、蘭学史研究の充実と広がりをよくあらわしたものだと思う。

緒方洪庵の適塾が象徴するように、幕末には、蘭学(洋学)は、下層武士階級が、専門的な技術によって、藩の権力機構の中で発言力を得るための手段という側面を持っていた。このような、支配体制の強化であれその改革であれ批判であれ、為政者を志向している蘭学に対して、この著者は、「在村蘭方医」の重要性を指摘する。これは、村の有力農家の出身で、何段階かの修行を経て、最後は大都市の有名な蘭学教師のもとで学び、村に帰って地域の医療に従事したグループである。このためには、村で医療を行う基盤がなければならない。それを可能にしたのは、村の知識人層でもあった上層農家の知的環境の成熟であった。居住する村の村民からの要望があり、村落における指導的な位置の自覚にともなって、上層農家はすぐれた医学を学んだという。

いや、これは思いつきだけれども、ここで村の医者を成立せしめているのは、医療市場というよりも、慈善と言ってはいいすぎかもしれないが、社会的な責任であるように思われる。上層農家を背景に持つ在村の医者というのは、医療で生活する必要がなかったのだろうか?昨日記事にした、国立の本田家もそうだったし。