明治19年の感染経路復元

必要があって、明治19年の山口県のコレラについて、同時代に感染経路を復元しようとした面白い資料を紹介した論文を読む。文献は、木下繁太郎「豊浦郡矢玉浦虎列刺病概表―明治19年のコレラ流行」『医学史研究』no.42(1974), 559-573.

明治19年は、全国で10万人以上の死者が出る明治期最大のコレラ流行で、山口県の豊玉町にある矢玉浦という漁村でも、7月19日から9月14日までのあいだに、119人の患者が出た。矢玉浦の人口は分からないが、もともと漁村であるからあまり大きな村ではないことが予想され、かなりの割合で罹患したと考えられる。

この119人の患者について、当時村で開業していた松田慎一という医者が作成したのが「豊浦郡矢玉浦虎列刺病概表」なる資料である。これは、コレラの村への侵入と、村の内部での伝播を、村民への聞き取りと推理に基づいて、感染経路をできるだけ復元しているというとても面白い資料である。 これは、感染経路そのものの復元というより、「想像された感染経路というテクスト」だと言ってよい。 感染し発病したというまぎれもない事実、例えば患者の家に遊びに行ったとか、家の前で立ち話をしたなどの何気ない事実、前の晩に生鯖を食べ過ぎた、スイカを食べ過ぎたといった、言われてみれば思いあたる事実、そしてミアズマ感染といった当時の「理論」、このような異質の事実と記憶と理論をつなぎ合わせて、この村でコレラが伝播した経路が復元されているのである。 

ちなみに、豊玉町は川棚温泉という、下関の奥座敷と呼ばれた雰囲気がある温泉があるそうである。