精神病院と保険会社



必要があって、精神病院の統計学の古典を読み直す。文献は、Jarvis, Edward, Insanity and Idiocy in Massachusetts: Report of the Commission of Lunacy, 1855, with a critical introduction by Gerald N. Grob (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1971).  19世紀の半ば以降、精神医療と統計学を結びつけて、色々なことが論じられるようになったけれども、この著者は、イギリスの John Thurnam とならんで、その草分けの一人。

19世紀の前半にヨーロッパ諸国で公立の精神病院が建設されはじめるとすぐに、入院して症状は沈静するが、回復することなく病気が慢性化する患者の存在が目に付くようになった。かつては、急性期の凶暴な症状を通じてむしろ急性疾患として認識されていた精神病が、慢性疾患の顔を持つことが速やかに認識されていく。一方で、税金でまかなわれているため経営上のアカウンタビリティがあり、患者が何人いて、いつからいつまで在院し、費用がどれだけかかったかを報告する義務がある新たな精神医療の形態は、経営と医療があいなかばした記録を作成するようになった。そのため、精神病で入院した患者がどれだけ生存し、かりに彼らをすべて精神病院でケアするとしたらどれだけ費用がかかるかということが計算されるようになった。

この書物でも、病院自体の統計記録を用いて、退院せずに病院にとどまった患者は男でちょうど6年、女で約5年間生存することを計算する以外にも、ロンドンの生命保険会社である Albion 社の John Cappelain なる人物が作成した、不治の精神病患者の平均余命を算出した一覧表を載せている。それによれば、20歳の男性の不治患者だと平均余命は21年、30才だと20年、40才だと17年、70歳でも9年以上あるという計算がされている。(191-2)

不治の精神病患者の平均余命を計算するのに、生命保険会社を使っていたのか。これは、ナチスの優生学の「生きる価値がない生命」の抹殺計画(と実施)の、一つのビルディング・ブロックであると考えることができる。今は、「すべての道はナチス・優生学に通ずる」という史観は流行っていないけれども、私はこの事実は知らなかったし、あと、生命保険会社という、基本的にはリスク分散の基本原理に基づいて作られた制度が、精神病患者の平均余命を計っていたというのは、ちょっと面白い史実だと思う。

画像は、アレクサンダー・モリソンの Physiognomy of Mental Diseases より。