必要があって、20世紀初頭に書かれた「病気とは何か」ということについての論文を読む。文献は、Crookshank, F.G., “The Importance of a Theory of Signs and a Critique of Language in the Study of Medicine”, in C.K. Ogden and I.A. Richards, The Meaning of Meaning: a Study of the Influence of Language upon Thought and oof the Science of Symbolism (London: Routledge & Kegan Paul, 1956), 337-335. この論文が収録されているのは、1923年に出版されたオグデンとリチャーズの言語学の古典の『意味の意味』である。ちなみに、クルックシャンクの論文は、この書物のSupplement 2 で、Supplment 1 を書いているのは、有名な人類学者のマリノウスキーである。
私は勉強不足でよく状況が分かっていないが、20世紀の初頭の医学文献を読んでいると、医学の根本を問い直そうという形而上学的な野心のようなものが随所に感じられる。その一つのきっかけは、やはり細菌学がもたらした、きわめて実体論的で特定的な病気観である。特定の病気を引き起こす実体としての「病原体」が発見されたとき、色々な病気について、それを外部の実体と結びつけて考える仕方、あるいはほとんど同一視する見方が興隆したのはもちろんである。しかし、すぐにそれに対して批判的な医者たちが優勢になり、全体論的な見方が取られるようになって20世紀の生物学的な医学の主流を形成するようになる。免疫理論や内分泌などの20世紀の偉大な医学的な発見は、細菌学の刺激を受けながらも、外部の実体から、人間身体自身のほうに病気をひきつけて考える方向を示している。それと同時に、病気の実体から「社会」にほうに医学知識を開いていく視点も、特定病因論との拮抗の中で出てくるように思う。科学社会学の原型を1930年代に作ったとして知られているフレックが血清学者であったのも、偶然ではないと思う。(すみません、このあたり、フレックも勉強していないし、まだ、ちょっとよく頭に入っていません。)
この論文は、緻密な構成の論文というより、談話風・講演風の作品なので、ちょっと意味が取りにくいけれども、話の大筋は、オグデンとリチャーズの、1. 何かを理解するときに頭の中で発生するコンセプト、2. これをコミュニケーションするための記号、3. その記号がさす実体、という三つの層を、医学と病気の問題に適用したもの。そして、オグデンたちの記号論的な反省を医学的な知識に適用すると、医学はより厳密な科学になるという主張である。クルックシャンクは、ややおどけながら、医学の形而上学を志向していて、<病気とは何か><それを知るとはどういうことか><病気に名前をつけるとはどういうことか>という三つの問題が、病気という現実をどう理解するか、診断の記号論・意味論は何か、そして統計的に用いられる診断・疾病分類は何なのかという具体的な問題を整理する助けになるという。
実は、これが、詭弁と衒学なのか、それとも、クルックシャンクはこの形而上学が本当に医学に利益があると思っていたのか、だとしたら、具体的にはどんな問題を解くと思っていたのか、私にはよく分からない。いま抱えている大きな仕事がすべて終わったら(笑)、このリサーチをしたいと思っている ―― と、二年位前にも書いた(笑)