法廷証言の言語

必要があって、18世紀のイングランドの法廷で証言した人々の「言語」を分析した論文を読む。文献は、Rabin, Dana Y., “Searching for the Self in Eighteenth-Century English Criminal Trials, 1750-1800”, Eighteenth-Century Life, 27(2003), 85-106.

18世紀のイングランドの法廷では、被告や証人が、犯行が行われた当時の容疑者の心理状態を語ることがあった。この内容を分析して、「自己」がどのように表象され、どのように作られていたかを論じた野心作である。議論を組み立てる概念装置としては、それほど目新しいものではなくて、sensibility の理論を中心にしている。すなわち、人間は周りの環境から刺激・影響を受けて反応するものであり、この刺激への反応性が敏感で、特に他人の悲惨な境遇に心を動かして涙を流せるような心が文明化された人間がもつべき心であるという理論があったのは有名であるが、この刺激への反応としての感情という、外界との関係において定義される「自己」像は、犯罪における責任能力論を、予想されなかった仕方で、法律家たちを二分するような形で、影響を与えたという議論の流れになっている。

それを、民衆の法的な文化を表していると考えられる法廷での証言に求めたところが面白い。道徳的で理性的な自己像と、環境と情念という変化するうつろいやすいものに影響を受ける偶発的な自己が、共存し対立している社会的・言語的な空間を歴史的に再構成した論文である。