必要があって、リハビリテーション医学の概説書を読む。文献は、砂原茂一『リハビリテーション』(東京:岩波書店、1980) 著者は結核からリハビリテーションへと進んだ医者で、その著作は鋭く明確で、このブログでも何度か取り上げた。この書物も、1980年に初版が出た後に2009年までに37刷が出ている、評価が定まった古典的な著作。お年を召されたのか、執筆の仕方の問題なのかは分からないが、この新書は少しだけ議論が散漫になっているけれども、その洞察の水準は高い。
やはり、リハビリテーション医学がどのように形成されたかを論じた部分が一番面白かった。最も重要な特徴は、社会的な関心の先行という問題である。アメリカにおいて顕著なように、20世紀の初頭から戦間期にかけて、まず傷痍軍人・復員軍人の社会復帰と職業訓練のような組織が各州に作られ、連邦政府もそれを後押しした。この運動は、医学とは比較的独立に起きていた。この、社会がイニシアティヴをとった、軍人への障害者支援に対応して、「物理療法」などの名称で、あるまとまりを与えられていたさまざまな治療技術が、明確な哲学というか、社会的な目的を与えられた。これらの治療技術は、お世辞にも当時の最新の科学に基づいているとは言いがたく、運動療法、マッサージ、水治療法など、いずれも古典医学の時代から存在するものであった。つまり、社会における障害者支援に対し、医学の一分野が、当時のアカデミックな医学では脚光を浴びていなかった伝統的な技術を使って結晶したといえるだろう。
日本でも、リハビリテーションという概念が戦後華々しくアメリカから入ってきたから、輸入されたものだと思われがちだが、国内で独特の発展をとげた部分というのが大きい。結核や傷痍軍人のケアを中心にして、作業療法、運動療法、水治療法、マッサージなどが戦前から行われていた。そして、これらは、東大卒のアカデミックな医師が先導していた部分もあるが、実際の治療は、いわゆるマッサージ師などが行っており、この職種には、江戸時代以来、あんまで生計を立てることを許されていた盲人が多くついていた。そのため、1960年代に、理学療法などが指定された学校を終了した上で国家試験を受ける国家資格になったときに、視覚障害者たちは、学校を終了しなくても国家試験を受けることができるように取り計らわれ、試験問題は点字でも出題されたという。