江戸の乱心と減刑・赦免

新着雑誌から、江戸時代の精神障害者が犯罪をおかしたときの対処についての論文を読む。文献は、岩崎大輔・新福尚隆「江戸前期における精神障害者の法的処置に関する研究」『精神医学史研究』13(2009), 96-106.

1657年から1699年までの江戸の刑事事件の判例を収録した「御仕置裁許帳」から当時の精神障害(「乱心」)のもとにあった事例を拾って、その対処を分析したもの。江戸前期は、戦国時代の厳刑主義は薄れつつあったが、吉宗以降に廃止される「鼻そぎ」などの身体刑はまだ残っている移行期であった。この時期には、すでに被害者の主人や親族が宥免願いをした場合には、詮議の結果、その旨を届けさせるという規定もあり、また、乱心は減刑の一事由であると考えられていた。ほぼ40年間の判例974件のうち、「乱心」下における犯罪であると考えられるものは28例あり、そのうち赦免12例、死罪という一番軽い死刑が9例、獄門、はりつけ、鋸挽きという重い死刑がそれぞれ2,3,1例あった。乱心における赦免と減刑の存在は明らかであるが、それには限界も存在した。乱心といえども、身分の上下をわきまえない犯罪(例えば主人を殺すことなど)については、鋸挽きではなくて死罪にされるなど、減免とその限界が明らかになる。