新着雑誌から、熱帯地方向けの服装に関する論文を読む。文献は、Johnson, Ryan, “European Clothes and ‘Tropical’ Skin: Clothing Material and British Ideas of Health and Hygiene in Tropical Climates”, Bulletin for the History of Medicine, 83(2009), 530-560. ちょうど、自分自身、熱帯気候馴化の論文をまとめようとしている時だったので、とても興奮して呼んだ。
19世紀の末以降、イギリスの帝国主義的な野心が拡大するのに伴って、熱帯で暮らすイギリス人の健康を守ることが重要な課題となった。17世紀以来、熱帯は豊かな資源を蔵していると同時に、そこに移住したヨーロッパ人の生命を危険にさらす土地であるとして認識されていた。ヨーロッパ人が熱帯に移住するとは、富と成功の甘い誘惑と、死と病気の恐怖が入り混じる風景の中に身を置くことを意味した。そのための「戦闘装備」として、イギリスは多くの商品を生み出していた。熱帯に移民した白人の健康を守る「キット」の中で最も重要だったのは特別な衣服であり、バーバリーやイエーガーといった当時の一流の衣服メーカーは競って熱帯用の衣服を生産した。この白人熱帯移民の衣服をめぐって、どのような素材がいいかという、服飾メーカーらしい議論もあったが、その根底には、現地の黒人にとって、ある種の「衣服」であるといえる皮膚はどのような働きをしているのかという考察があった。
衣服への注目は、病原体や媒介生物の研究に基づいたいわゆる「熱帯医学」のパラダイムが乗り越えたと考えていた、気候が直接人体に悪影響を与えるという一世代前の熱帯気候馴化のパラダイムの産物であるように思われている。しかし、イギリスで20世紀初頭に熱帯用の衣服として開発された特別な素材である「ソラーロ」を開発したのは、マンソンの盟友で新しい熱帯医学の旗手のルイス・サンボンであった。(ちなみに、このソラーロというのは、今の言葉でいう紫外線を吸収するとされた素材である)熱帯医学が病原体やヴェクターを明らかにしていく中で、気候順化の考え方は衰退していったとされるが、むしろしぶとく残っていたといってもよい。それを象徴するかのような例が、サンボンその人が気候順化のパラダイムの中で仕事をしていることである。
熱帯用の衣服は植民者のアイデンティチの重要な一要素となった。適切にデザインされた衣服を身にまとうことは、イギリスの安全な環境と縁を絶ち、拡大しつつある帝国の最前線での冒険に身を投ずることを意味していた。植民者たちを「その気にさせる」衣服が必要だったわけである。そして、「その気」というのは、戦いと征服であった。これは、現地の黒人に較べたとき、生物学的な適応力において劣っている肉体をカヴァーするのに、知的な優越を利用して生産されたというパラドックスである。
画像は、1905年の雑誌 Climate に掲載されたバーバリーの広告。 なるほど、たしかに、これは「その気にさせる」服装の広告ですね(笑)