必要があって、『江戸砂子』といわれる江戸のガイドブックを読む。文献は、小池章太郎編『江戸砂子』(東京:東京堂出版、1976)
『江戸砂子』の名前を冠する江戸の地誌は何種かあって、18世紀後半から刊行されて、続編や拾遺なども出ている。この書物は、三種類の刊行物を収めていて、そのうちの第二編「続江戸砂子 温故名跡志」の第五巻に、有名な木を集めた「名木類聚」と四季の景物を集めた「四時遊観光」の間に、「薬品衆方」と題された章がはさまれている。当時、江戸で入手できた有名な薬品の一覧である。「江戸は、日本一の繁華の地で、官医、名医が数多くいて、人を救う名方、良薬が多く、医術の門には、名方、秘方が必ずある。」というわけで、それぞれの薬のいわれや効能、組成などが記されている。身分制社会だけあって、薬もその来歴が重要で、その薬を最初に開発した家(半井家だとか丹波家だとか)は、天皇家から分かれた源氏の家だとか、そういった講釈もついていて、そのような薬は前のほうに上げられ、それぞれの藩の殿様が作ったものが続いているが、後のほうにあげられていてより数が多いのは、そのような立派な来歴がない薬である。
山田慶兒先生は、『中国医学はいかに作られたか』で、鍼こそが古代の中国医学の理論的・技術的な本質であったと書いている。それと同じように、薬こそが、江戸時代の医療の経済的本質であったと主張するためには、どんな史実を見つければいいのかな。