ベルナール『実験医学序説』

必要があってクロード・ベルナール『実験医学序説』を読む。文献は、ベルナール『実験医学序説』三浦岱栄(東京:岩波書店, 1970)

1865年に出版された、実験生物学の古典中の古典。実証主義に基づいて「科学は進歩する」という信念を高らかに謳いあげ、医学は病人を観察することに終始するべきではなく、動物実験を通じて得られる科学的な理論こそが医学の最も重要な基盤であると主張して、医学教育の殿堂は臨床や病院ではなく、実験室であると主張した書物である。

実験というのは、実験者によって創作され決定された現象を検証するのに対し、観察は、自然がこれを平素われわれに示すままに検証する。キュヴィエはこれを「観察家は自然の語るのを聞き、実験家は自然に問いかけてその秘密を暴露させる」といっている。(これは学生に教えてもらったことだけれども、憶えたいから書いておく。同じようなことを、下村寅太郎は「自然を拷問する」と表現したそうである。)複雑な器官や機能からなる生物の内的環境を、解析し、操作することを通じて、ある特殊な状況を作り出して、そのもとでの生物のさまざなま機能の変化を観察することが、ベルナールがいう実験である。そして、これが、臨床に優先して、医学の知的基礎となるという彼の考えは、当時としては、病気の理解や治療という点ではあまりにもわずかの成果しか挙げていない知的活動を、医学の中の王座に据える、大胆この上ない提案であった。もしかしたら、無謀といってもよかったかもしれない。

実は、これを読み直した理由は、ベルナールがカエルを実験に使っているかどうか確かめるためであった。ベルナールが使った実験動物といえば、ウサギとイヌの事例が有名で、特にイヌの利用は、当時、すでにイヌを熱烈に愛していたイギリス人の激しい非難を呼び起こしたし、また、ベルナールのウサギは、かわいそうに絶食させられては肉を与えられて人工的に肉食動物にされたうえで、尿の酸性度を測定させられたり消化の機能を研究されたりしている。それで、哺乳動物ばかり使っていたのかと思っていたら、実は、これは私の無知ゆえの思い込みで、有名なクラレの実験は、まずカエルでやってみたことがわかった。クラレ(有名な南米の毒である)で中毒された蛙の心臓は活動を続け、血球も普通だし、筋肉もその機能の収縮性を失っていない。しかし、神経線維は健全な解剖的外見を保っていたにもかかわらず、神経の性質を完全に消失し、随意運動も反射も失ってしまったという。

もうひとつ、ベルナールが統計学に対して取っていた態度だけれども、統計学は法則を明らかにするのに役に立たないという理由で、統計学を医学に利用するのに否定的である。「一言でいえば、統計学に立脚しているかぎり、医学は永久に推測科学にとどまるであろう」と書いている。 

憶えなくていいトリヴィアを憶えてしまっているので、書いておく。ベルナールはボージョレー地方のワイン製造業者の息子で、当地では「クロード・ベルナール」というワインがあるそうである。